「昭和16年の敗戦」
著 猪瀬直樹
総力戦研究所の話ですね。
総力戦研究所とは、真珠湾攻撃によってアメリカとの戦争が始まる少し前に開設された内閣総理大臣直轄の研究所のことなんですが、各官庁・陸海軍・民間などから若手エリートたちを選抜して集めて、総力戦体制に向けた教育と訓練をしていたところですね。
総力戦とは、つまり軍人だけが戦争するのではなく、民間も産業界もみな協力して戦争に望むという戦い方で、日本の多くの人は、当然、国の規模の大きさからいって、アメリカと戦争するならば、国家総動員の総力戦体制じゃないと戦えないと思っていたわけです。
それで、戦争をする前に、総力戦体制でいかにアメリカと戦えるのかを一般文官と軍人(武官)の若手エリートたちが一緒に率直な議論を行うことによって検討していこうというのが、この研究所が出来た目的なんです。
面白いのが、研究所内で研究生たちが模擬内閣を作って、机上演習を行っていたこと。
しかもみんな各省庁や軍部から来たエリートたちなので、石油がどれだけ備蓄があるかとか日本に関する正確な数字を知っているんです。
そして模擬内閣として彼らが出した結論は、日米開戦をしたしても、日本は必ず負けるといったものでした。
そもそも内閣総理大臣直轄であったために、彼らはこの結果を時の東條内閣に報告しますが、政治と演習は違うということで、ほとんどその報告が顧みられることはありませんでした。
まあ、実際には東條内閣の中にも、多くの閣僚が日米開戦をしても日本がほぼ確実に負けることを予想し、どうにか開戦しないようにあの手この手と頑張っていたわけなんですが、このときもうでょうしょうもないところまで来ていたんですね。
日本が戦争に突き進んだ大きな理由として挙げられる統帥部がすでに暴走していたんです。
統帥部とは陸軍参謀本部及び海軍軍令部、つまり日本軍の最高統帥機関、いわゆる大本営です。
ようするに明治に作られた憲法が欠陥だったんですよね。
統帥部の方針に対して、政府が抑えることが出来ない仕組みになっていたんです。
軍は天皇によって統べられている。
したがって、天皇によって軍事を委託されている統帥部の判断に対して、誰も反対が出来ないという理屈になっているんですよね。
軍部は、この理屈を盾に政府の抑制を振り切って、好き勝手にやっていたんですね。
しかも何かあるたびに陸軍大臣が辞任して内閣解散に追い込んでいたので、事実上軍部の独裁体制になっていたんです。
こうした状態だったから、いくら数字を出して、アメリカと戦争なんてしても勝てっこないことを説明したとしても、軍部は自分たちの勝手を押し通すわけです。
まあ、軍からしてみたら、今さらアメリカと交渉するために、それまで力づくで得てきた中国や仏印インドシナでの権益を手放すということは、それまでの自分たちの行動を全否定することになりますからね。
でも、だからと言って、精神論だけで引くに引けなくなった自分たちの行動を正当化するために、絶対に負けると分かっている戦争に国民を巻き込むというのはかなりあり得ない話です。
総力戦研究所が出した報告についてもそうなんですが、散々いろいろな人が数字を出して絶対に負けるからと戦争を止めようとしても、最初から聞く気なんてなかったんですよね。
総帥部の中では答えは最初から決まっていて、その答えに沿うように出された数字を利用していったんです。
これでは、議論の意味が何もなく、ただ一部の人間が力づくでやりたいようにやっただけで、なるべくして国が焦土に焼かれたわけですね。
何てばかなことをしているんだろうと思うかもしれませんが、でもそうやって、ちゃんと議論がなされずに、一部の声の大きい人間のいうことを聞くためにあらゆることが合わされていくって、今でもよくあることなんですよね。
わかりやすいのが、ウクライナに軍事侵攻しているロシア。
プーチン大統領とその周辺がそのまま太平洋戦争時の統帥部に重なりますね。
もっといえば、国という大きな単位だけじゃなく、身近な話にもこうした話は当てはまりますよね。
多くの建設的な意見を一切聞かず、数字を自分たちの都合のいいように解釈して会社を傾かせる企業なんてザラにありますよね。
ていうか、バブル崩壊後の日本も、多くの企業や政党のそうしたやり方のまずさがその後の日本の凋落を招いてしまったような気がします。
そういった意味では、昔の話を読みながらも、今と何も変わっていないことを再認識させられた本でした。
総力戦研究所についてはほとんど知らなかったことなので、読んでいて非常にためになりました。
特別な状況のと特別な話ではなく、よくよく話を知っていくと、意外と現在の自分たちの生活にも通じる普遍的な話なんですよね。
あと、個人的に東条内閣が組閣された理由や、真珠湾攻撃までの東條英機首相の苦悩の話はよく知らなかったので、そこのくだりも非常に興味深く読むことが出来ました。
東條氏自身は、自ら首相になる気持ちなどなかったこと。
天皇が日米開戦を止めるために、あえて開戦派でありながらも、天皇に忠僕である東條氏を首相にしたこと。
太平洋戦争を起こした張本人というイメージが強い東条氏であるが、少なくとも組閣から真珠湾攻撃までは、日米開戦を止めようとしていたこと。
などなど、自分が知っている東條英機という人物像とは、また違った面を知ることが出来たのは収穫でした。
まあ、確かにだからと言って、東條氏に責任がないという話にはなりませんが。
ただ、民衆の免罪のために、彼がスケープゴートにされ、アメリカによって一方的なレッテルを貼られてしまったというのは事実だと思いました。