「火星の人」
著 アンディー・ウィアー
端的に言うと、火星に行った宇宙飛行士の一人が火星に取り残されてしまって、どうやって生き抜くかと言う話ですね。
文庫版の解説にもありますが、多くの人は奇しくもどちらもトム・ハンクスの主演作である「キャスト・アウェイ」と「アポロ13」を足して2で割ったような印象を受けたと思います。
典型的なサバイバルものですが、ポイントはこれがどこかの島などではなく、火星であるという点ですね。
そもそも簡単に人が生き残れない場所ですから、通常のサバイバル術では到底生き残ることは出来ません。
必要なのは、圧倒的な科学の知識と相応の物質です。
その時点で、この本が冒険ものではなく、SFというジャンルのど真ん中に入って来るわけなんですけれども、読んでみて驚くのが作者の宇宙で生き抜くための知識の量が半端ないということ。
これでもかというほど、何かをクリアすれば次に何かの問題が起こるというにもかかわらず、そのすべてに対して魔法や偶然でどうにかするのではなく、あくまで科学の知識によって解決をするということが貫かれているんですよね。
解説で、作者本人が相当なNASAオタクであるということが書かれていますが、これは確かに科学全般に相当な知識がないと書けないですね。
そして、すごいのがこれだけハードなSFだと、理科系の人しか楽しめないことも多いのですが、そのへんはしっかりとエンターテイメントとしてまとめるところはまとめており、多くの人が楽しめるようにこの作品は作られているんですよね。
個人的に、この作品を読んでいて一番目を引いたのは、主人公であるマーク・ワトニーのキャラ設定です。
これは、正直、好みによって良くもとれるし、悪くもとれる部分なのですが、特徴的なのは、この主人公に対して作者は無類の楽天的な性格を与えている点ですね。
通常、こうした孤独な戦いが舞台のような話だと、話はどうしても哲学的なものになっていきがちです。
まあ、普通に考えれば、いつ死ぬとも分からない中で、火星に一人で取り残されるわけですから、「生きるとは何か。どうして自分はそこまで生きたいのか」とそうした助教に置かれた人間が自問自答を繰り返すだろうということは想像に難くありません。
でも、そうした予想を裏切るように、ワトニーはそうした悩み方は全然せずに、とにかく生き抜くために知恵を振り絞ることだけを考えており、しかもどんな状況においてもユーモアを言うことを忘れないんですよね。
こうした設定であるならば、地球に残してきた妻とか子どもとか、そういったキャラを作って、それに対して孤独な戦いを強いられる主人公はどう考えるのかとかね……考えがちなんですけれど、この主人公は徹底してユーモアと科学的な知識だけで生き残ろうとしているんです。
そして、こうした主人公のキャラが、作品を格段に読みやすいモノに変えているし、作品に明るい印象も与えています。
エンターテイメント作品として、この作品をとらえた場合、作者のこの主人公に対する戦略は成功しているといえるでしょう。
確かにテーマ的なことを考えたらね。
設定的に、もっと深掘りすることが可能ではあったとは思うんですけれど、そこは本当に読む人の好みであるし、そうした主人公を選択することこそがこの作者の個性でもありますからね。
実際、主人公のユーモアは切れていて、重くなるしかない設定の話にかなりアクセントを加えて明るいものに見事に転嫁させているのですから文句はありません。
ここのところは、そうきたのかと、それそれでかなり楽しむことが出来ました。
ちなみにこの作品は「オデッセイ」というタイトルでマット・デイモン主演で映画化もされています。
原作を読んだ上で、映画と見比べてみるとかなり贅沢に楽しめますね。