「科学の社会史 ルネサンスから20世紀まで」 著 古川 安
単なる科学史ではなく、科学が社会にどう影響を与えたのか、またどのように世の中に浸透していったのかという点に重点が置かれている本です。
のっけから少し驚かされたのが、科学はそもそも独立しておらず、哲学の中の一分野であったという点。
確かに冷静に考えてみれば、自然科学ですからね。
自然を研究することが、すなわち科学であるというわけで、それが時代を経るに従って、いかにら自然を知り、それを征服していくかという話に西欧ではなっていったという話です。
言葉の意味をよく考えてみると確かにそうですが、今となっては、現代人はこの辺りの流れは全然意識していないですね。
あと科学と技術の違いについてもなるほどと思いました。
ゴッチャに考えていたというか、その違いについてなんて深く考えたことなかったです。
ようするに、自然とは何ぞやと、それを解明していく基礎的な研究を科学といい、技術とはその多くが創意工夫や経験論によって成り立っていく、応用の産物なんですよね。
つまり、大工とか鍛冶屋とかは、科学者ではなく、技術屋というわけなんです。
科学の進歩によって産業革命がなされたというイメージがありますが、蒸気機関などは自然科学というよりは、むしろ技術の進歩によって行われたところが大きいという話はなるほどと思いました。
産業革命が、当時科学が進んでいた、ドイツやフランスで始まったのではなく、イギリスで始まったという点がその事実を如実に表していますね。
しかしこうやって科学と社会の結びつきを考えていくと、人間の歴史がいかに科学を受け入れ、それを発展してきたのかということに結びついているがよくわかりますね。
特に基礎研究がいかに大切であり、教育制度を含め、そこにしっかりと投資をしている国が繁栄を築いているという事実にも納得がいきます。
そう考えると、目先のことにとらわれて基礎研究を蔑ろにしつつある、我が国の方針には、やはりちょっと疑問符がつきますね。
また原発事故に代表されるように、科学によって自然がコントロール出来なくなってきているシーンや、科学を信じすぎるがあまり、合理的になりすぎてしまい、その結果人間性を失いかねないシーンも目立ち始めています。
科学の進歩によって、わたしたち現代人の今の生活があることは確かですし、これからの生活や経済の発展に科学の力が必要であることは疑いようもありません。
ただ絶対的な存在になっているかそ、わたしたちは今一度科学の扱い方についてしっかりと考えてみる必要があるかもしれませんね。