「AI以後 変貌するテクノロジーの危機と希望」
著 丸山俊一+NHK取材班
AIという言葉がどんどん浸透していくと同時に車や家電など様々なものにAIが組み込まれ、今や日常にAIがあることが普通になってきました。
じゃあ、この先どうなるか―――少し先のことなら想像することは出来ても、十年、二十年の単位で考えると、もうちょっと分からないですね。
この本では、AIがこの先どうなって行くのかを、四人の識者の話をまとめることで思考しています。
キーワードは「意識」ですね。
今私たちの周りに存在しているAIには意識がありません。
つまり人間が指示を出さない限りは、決して自律して動くということはなく、あくまて受動的な存在であると言えます。
ただ技術が進歩してAIそのものが意識をもったら、それはもうシンギュラリティを越えるどころの話じゃなく、根本的に人間の生活そのものというか、倫理とか価値観とかそういったものがすべて変わって行く可能性がありますね。
AIが意識を持つことにおいて、宇宙物理学者のマックス・テグマークはポジティブにとらえています。
技術者故にたとえAIが意識を持ったとしてもコントロール出来ると考えているんですね。
その一方で倫理学者のヴェンデル・ウォラックや哲学者のダニエル・デネットはAIをコントロール出来るということにより慎重であり、懐疑的です。
特にデネットは本質的な意味を理解しないAIは決して人間のようになれないと断言すらしています。
デネットは意識から連続して生まれるのが自律性であり、さらにその連続性こそが心だと考えているんですね。
うーん、そう考えると、AIの話が一気に哲学じみてきますね。
技術の進歩は著しいのですが、でも確かにAIが人間に近づけば近づく程、話は人間とは何なんだという話になってきますね。
AI以後のこととして考えなくちゃいけないのはまさにここなんですよね。
ようするに生命体の論理を拡張して、機械の作動の中にも独自の意識を認められるかどうかっていう話になってくるわけです。
AIを考えることは、つまり人間を考えることであるといわけですね。
ここのプロセスをちゃんと経ないと、技術革新がとんでもない方向に行ってしまうかもしれないというのはよく分かります。
面倒でもそこはちゃんと考えなきゃいけないところなんですよね。
便利だからいい、効率的だからいい、経済的だからいい、というわけではないんです。
そしてここを考えることで、初めて多様性や寛容性といった感覚が今とはまた変わっていくかもしれないというわけです。
いやあ、難しい問題です。
でも、色々と考えさせられました。