「伊藤博文 近代日本を創った男」
著 伊藤之雄
伊藤博文の印象がかなり変わりましたね。
この本を読む前は伊藤博文と言えば、大日本憲法を作り、日本を憲法政治へといざなった功績がありながらも、どこか如才のない軽い人物だというイメージが正直ありました。
女性関係にだらしなく、初代韓国統監であり、また韓国人である安重根に暗殺されたことから、植民地主義者というイメージも正直強かったです。
ただ伊藤の人生を詳しく見てみると、イメージはあくまで後世に意図的につけられたもので、伊藤の一面だけを見て誇張されたものだということがよくわかりますね。
そして改めて伊藤の人生を時系列に追ってみていくことで気が付いたのは、伊藤の人生そのものが明治時代そのものだということ。
もちろん伊藤は長州ファイブの一人であり、幕末から活躍していましたが、彼の真骨頂は、間違いなく大久保利通暗殺後に権力を完全に掌握してからですね。
西南戦争と大久保の暗殺で薩摩閥が弱体化したという形で転がり込んできた権力であることには事実であるのですが、ただ彼にはほかの元老たちとは違ってしっかりとしたビジョンがあったからこそ、のし上がることが出来たんだと思います。
よく伊藤はそのときどきについていく人物を変えて立身出世をしたために、軽い性格だと言わます。
岩倉使節団から戻ってきたあとで、散々世話になった木戸孝允から距離を置き、あろうことか薩摩の大久保利通に近づいたことがその最たる例でしょう。
ただ伊藤は自らの立場のために仰ぐ人を変えたというよりは、その時々で自分のビジョンに沿った人や自分にないものを与えてくれる人に素直について行った結果、悪意がある人からはそのように捉えられたんですね。
常に何が社会にとってよいのか、そのビジョンを考え、それに素直てあったからこそ、力を付けて行き、それがこの時代の日本にとって非常に大きかったんです。
そう考えると、伊藤博文がいなければ、憲法は制定されなかったかもしれないし、ましてや政党政治が出来ることなんてなかったかもしれません。
剛凌強直という言葉の通り、早くからイギリス議会政治の理想と君主機関説をしっかりと掲げ続けていた彼がいたからこそどうにか明治政府が成り立っていったということがよく分かります。
特に憲法を作り廃止させなかったことと、自らの権力が危うくなるにもかかわらず、藩閥による寡頭政治から政党政治へと転換させていったことの功績はかなり大きいですね。
そしてどうしても伊藤のことを語れば語るほど、どうしても浮かび上がってきてしまうのが山縣有朋です。
同じ長州閥でありながら、陸軍のトップに立ったことで、伊藤に対抗し、彼のビジョンをことごとく邪魔だてしていったことが、伊藤の人生を追えば追うほどわかっていきますが、彼および彼の下に集まった保守派が陸軍を暴走させたというのは、紛れもない真実です。
伊藤が大日本帝国憲法の不備に気づき、軍部を暴走させないためにそれを変えようとしていたこと。
韓国を完全に併合しようとする山縣ら保守派に対して、伊藤はあくまで韓国の自治を出来る限り残そうとしていたことなど。
それらのことは正直初めて知りました。
確かに帝国主義全盛の時代において、伊藤が韓国に対してまったく植民地主義的な考えがなかったとは言えませんし、山縣にたいする妥協が後の軍部の暴走を招いたと言っても過言ではありません。
でも、伊藤がいなければ日本は近代国家としてそもそも成り立たなかったこと、さもすれば、欧米列強によっていいようにされていた可能性も高いでしょう。
そういった意味では、この時期の日本にとって、伊藤の存在はかなり大きかったことは確かですね。
伊藤の人生をこうして振り返ってみて、かえすがえす残念なのが、やはり大久保の暗殺ですね。
大久保が存命で、伊藤とタッグを組んで政権を運営していれば、薩長のバランスが崩れることもなく、山縣の台頭もなかったわけで、陸軍の暴走がもっと抑えられたかもしれませんからね。