福地源一郎とも呼ばれ、幕末から明治にかけて活躍した人物ですが、なかなか一言で語るには難しい人物の話です。
幕末は外国方幕臣として通訳として活躍していました。
遣欧使節の一行に選ばれて活躍していますね。
維新後は、大蔵省に入ったこともありましたが、のちに東京日日新聞に入社してジャーナリストとして活躍します。
記者として西南戦争に赴き、最初に現地に行って戦争を報道をした人として有名ですね。
その後は記事を書きながらも、政治家になったりとその活躍の幅を広げていますが、福地桜痴としてその名を知らしめているのは、歌舞伎の劇作と小説ですね。
残念ながら現代人の誰もがその名を知るような作品はないのですが、福地が書いたその数は膨大で、福地そのものが明治の文化の一翼であったと言っても過言ではないくらいです。
どうしてもその政府寄りの姿勢が記事や作品に反映されていて、リベラルな世の中になった今では、評価があまりされなくなった人でありますが、とにかく書くということに命を燃やした人だということは変わりません。
明治の文化史を語る上では、欠かせない人の一人ですね。