「五代友厚と北海道開拓使事件 明治十四年の大隈追放と五代攻撃の謎に迫る」 著 末岡照啓

「五代友厚と北海道開拓使事件 明治十四年の大隈追放と五代攻撃の謎に迫る」

著 末岡照啓

明治十四年の政変において、民権派が大騒ぎし、大隈追放に至った直接の切っ掛けを作った事件を克明に追った本です。

当時ボコボコに非難されていた五代側の資料を克明に追っています。

確かにそこから読み取れるのは、北海道開拓使事件そのものが政争の種に途中からなっており、五代や大隈はあくまでその犠牲者に過ぎないということ。

払い下げ先は、元開拓使のメンバーからなる北海社がメインであって、五代率いる関西貿易社はわき役に過ぎないことはちょっと調べれば明白ですし、そもそも払い下げ金があまりにも安いからと新聞各社は非難しているのですが、実際はそれほどでもありません。

あくまで薩摩や五代を叩きたいからこそ叩いているのであり、そこに議会や国会開設を急ぐ民権派の意図は垣間見れます。

そもそも大隈は払い下げに反対しているからこそ、政府下げ大隈上げの論調になっていたのですが、実際に大隈は払い下げそのものには反対すらしていないんですよね。

一体誰が新聞社にこの話をリークしたのかは闇の中ですが、ただ大隈系の交詢社社員(慶応義塾の結社)がその状況を利用して、自分たちの望むような形での議会や国会開設を急ぐ口実にしたのは間違いないですし、また民権派のこうした動きに恐怖した政府側が大隈追放に舵を切ったというのも間違いないようです。

まあ、つまりは大隈と五代が貧乏くじを引かされた形に結果的にはなるのですが、メディアを使った政争はもうこのあたりからハッキリとあったんですね。

この後、大隈が後の早稲田大学となる東京専門学校を作り、政府に対抗出来る人材の育成に向かう一方で、それまで政府に対抗してきた慶應義塾が実学に向かうというのは、歴史の転換点として面白いです。