「再会の街で」

「再会の街で」
2007年/アメリカ

歯科医として成功していたアランが、9.11で妻と三人の娘のすべてを失ったかつてのルームメイトであるチャーリーと偶然再会することから始まる物語です。
チャーリーは、アランのことを覚えていないどころか、精神的に明らかにおかしくなっており、もちろん家族のことも覚えていません。
普通なら、そんな過去の友達と再会しても、関わるのは厄介だとそれ以上介入しないと思うのですが、アランは何とかしようと、彼に会い続けます。

なぜアランはそこまでチャーリーに世話を焼くのか? その答えがこの映画のテーマになっているんですね。
単純に9.11の遺族が可哀想だという話だけに済まさずに、その先の深い悲しみに遭った人間に、そうじゃない人間が何が出来るのか?ということを問い掛けることで、人間というものの本質を浮かび上がらせている作品だと思います。

アランは確かに歯科医として成功していますが、妻との関係に表面上はうまく行っていても、妻に合わせているだけの自分に、自分のことをちゃんと主張できない自分にウンザリしています。
傍目から見て、幸せそのものであるはずの彼は、幸せに見えず、自分がなぜそういう状態になっているのかもわかりません。それどころか、彼は見えた目にはわからないくらいに、自分でも気づかないくらいに、自分の心に閉じこもり、裕福で家庭もうまく行っている歯科医という役割をとにかく演じ続けることに必死になっているのです。
そんな彼が、深い悲しみを背負い、すべてを忘れたと言っているチャーリーと接しているうちに、今の生活にはない楽しみを見出していき、若かりし頃の自分を取り戻していくのです。
散々理不尽にキレられても、チャーリーとの仲を続けていく理由が、アランにはちゃんとあり、そこに気づいていくという話なんですよね。

アラン役のドン・チードルの演技はうまいのは前から知っていますが、圧巻だったのはチャーリー役を演じたアダム・サンドラーです。複雑な役どころなのですが見事に演じ切っていました。実は、記憶を忘れておらず、忘れたふりをしており、家族の話をし始めた時の演技は圧巻でしたね。

それにしても、これを作った人たちがPTSDという病気をちゃんと理解した上で、描いているというのがよくわかる作品です。よくわかっているからこそのアランとの対比で、健全に見える人だって、心を閉じていることがあるんだと、人間とはそういう弱い存在なのだということをしっかりと描いているんですね。
精神的な疾患をとかく忌避したがり、精神論で乗り越えようとする日本とは、このあたりが全然違いますね。

まずは自分の弱さを認めること。そうしないと、本当の幸せややすらぎは手に入らないのかもしれません。