ベトナム移籍の松井大輔選手の人柄と生き方に憧れる。

「つぶしてしまったんだよ」消えた“スポルティング移籍”の裏で、松井大輔が語った「怒りと謝罪」

サッカーの松井大輔選手。実はまだプロ入り前の鹿児島実業高校時代からの大ファンなんですよね、わたし。高校選手権でそのプレーに魅了され、京都パープルサンガに入ってから応援してました。10番を背負って臨んだアテネオリンピックの予選なんて食い入るように観てましたよ。代表入りが出来るのか、10番を本番でも背負えるのか、ライバルたちとの競り合いは観ていてとても心を躍らされました。

個人的に印象が強いのは、パープルサンガの天皇杯の優勝です。準決勝と決勝を現地で観ているんですよね。当時のパープルサンガには後に日韓W杯で大活躍をし、マンチャスターユナイテッドで世界的な選手になる若き日の朴智星選手がいました。松井選手と朴選手、それに日本代表だった黒部光昭選手の三人で三角形を作り、攻撃を牽引していたんですね。観ていて楽しかったことを覚えています。

ルマンに移籍したあとは、フランスからの情報に一喜一憂していました。ルマンの太陽と呼ばれていたときは、嬉しかったし、サンティエンヌやグルノーブルで苦しんでいた時期は気がかりでした。個人的にはやはりスポルティング・リスボンで観たかったなぁと今でも思います。

さてあまりに松井大輔愛が強くて語ってしまいましたが、先日そんな松井選手が選手としての晩年にまた海外に移籍をするというニュースが流れてきました。

そしてその詳細に触れた上記の記事を読んでいるうちに、どうしてあんなにも自分が松井選手に惹かれてきたのかがわかったような気がします。

最初は単にプレーが好きだったんですよね。でも松井選手を追いかけ、その言動や人となりをメディアを通じて知っていくにつれて、松井選手に選手としてだけでなく、人として魅力を感じていったような気がするんです。

何ていうんでしょう、この人の言動には人との接する際に差別や権威をほとんど感じないんですよね。

記事中にあるフランスでのベトナム料理店でのエピソードなんてそのいい例だと思います。グルノーブルが潰れてしまったことに後悔の念を未だに感じているという話もそうですね。

自分が一人じゃなく、いっぱいの人の中に自分がいるんだってことをすごくよく理解しているっていうのが伝わってくるんです。

そういう感じの人だから色んな国に行って言葉がある程度不自由でもやっていけるのかもしれません。そしてそういう人だからこそ、どこに行っても楽しめるし、そこでの経験を人として糧に出来るのでしょう。

こういう人って、いそうであまりいないんですよね。大抵の人は、地位や名前がつけば、態度も変わってしまいがちだし、何が大事なのかを見失なってしまう。

でも松井選手は人と接する上でのそのフラットさをブレずに持ち続けている。だから、選手として晩年に差しかかった今でも、知らない異国の地を楽しもうというポジティブなメンタルになれるんですね。

もちろん海外での苦労なんてたくさんあるだろうけど、それをこれ見よがしに見せずに、あくまで楽しもうとしているのが素敵です。

そんな松井選手のことを考えているうちに、2010年の南アフリカW杯のときの1シーンを思い出しました。

それは決勝トーナメント1回戦で日本がPK戦で負けた試合直後のシーンです。PKを外して号泣する駒野選手に駆け寄り、何も言わずに肩を抱き、一緒に涙ぐんでいたのは、松井選手でしたね。美しいシーンです。何かを諭したり、慰めるのではなく、無言で寄り添い、ただ一緒に泣くというのが松井選手の人柄をよく表しているなと思いました。

あと何年現役姿の松井選手を見られるかわかりません。ただどこに行っても松井選手は楽しく過ごすと思います。

残り少ないサッカー人生をどう生きるのか、そして引退後にどんな選択をするのか。今後も松井選手の活躍が楽しみですね。