緊急事態宣言で五輪チケットが夢散、政治家の選挙のために政策が決められていくことに絶望を感じる。

またまたまた緊急事態宣言が出て、ついにオリンピックの首都圏無観客が決まってしまいましたね。
わたしも家族全員分の女子サッカーとわたし個人分の野球の決勝のチケットを持っていたのですが、泡を消えてしまいました。
まあ、感染拡大している分しょうがないとは思うんですけれども、それにしても、政府がやることなすことすべて裏目に出て、そして結局後手後手になっているのはどうなんでしょうかね。
コロナ禍の中で、今、国民は社会分断されています。
コロナ対策にしても、ワクチンにしても、オリンピックにしても、それぞれの立ち位置によって当然考え方は違い、お互いに100か0かの議論を繰り返して、意見の違いはそのまま相容れない対立になっています。
本来ならば、その対立を話し合いによってうまくまとめるのが本来の政府の役割のはずなんですよね。
ただ政府がやることは、メンツを守ることと利権の確保、そして選挙に対する対策ばかりです。
オリンピックについては、個人的にはやるにしてもやらないにしても、政府がハッキリとしたメッセージを出してくれれば、と思っていました。
ヨーロッパでは、日本よりもいまだに多くの割合の人が感染していますが、もはやマスクなしでサッカー欧州選手権などを行っています。
これは、感染者が増えることがわかっているものの、それを踏まえた上で経済も動かすというスタンスをしっかりと持っているからで、政治家もそれに対して明確なメッセージを送っています。
だから、国民もある程度納得しているわけで、それなりに政治家が自分たちの役割を理解しているんですよね。

でも日本では、とにかく政治家は「自粛をしろ」の一点張りで、叩かれることだけを恐れて自分たちがこうしたいという計画を説明することもメッセージを送ることもしません。
何でもかんでも叩くことしかしない野党や一部のメディア、それに踊らされている一部の国民のスタンスはどうかと思いますが、彼らと対話せずに、ただひたすら上から決まったことだけを淡々と告げる政府もどうかと思います。
ていうか、政府そのものが、日本国民に対する対話という本来するべきマネージメントが全く出来ておらず、民主主義国家であるにもかかわらず、戦前のやり方で空気と強制だけでどうにかなると思っているのが間違いなんですよね。
そして一番腹が立つのは、国民にとって何がいいかではなく、自分たちの選挙にとって何がいいかで、物事を判断しているということ。
選挙に勝って、自分たちの立場だけが守られればそれでいいというのが見え透いていて、本当に絶望的な気持ちになります。

オリンピックにしても、ワクチンにしても、出せるだけのエビデンスを出して、その上で、経済、医療など色々な可能性を踏まえた上で、国民に見える形で野党と対話をするべきだったんですよ。
わたしは病院でデータを扱っていて、二千人近いコロナの患者の電子カルテを見てきましたが、野球やサッカーの観戦でコロナに感染した人など一人も見たことがないです。それは映画とかもそうですし、演劇やライブだって、初期に感染対策を全くしなかった新宿の演劇の件があっただけです。
電子カルテをビックデータ化すれば、そういうエビデンスだって簡単に出てくるはずで、そうした話に、無観客になった場合の経済的損失や、今後の感染状況などを全部踏まえた上で、ちゃんと話し合うべきだったんです。
民主主義なので、目に見える形でちゃんと話し合いが行われれば、そこで決められたことはそれなりにみんな納得しますよ。
でも、そうしたプロセスを踏まずに、自分たちの「こうしたい」だけを誰もが言うだけで、なし崩し的に話が決まっていくから、みんな余計に怒る。当り前ですよね。

コロナウイルスも怖いですが、一番怖いのは、社会分断と経済格差が進むことです。
コロナウイルスは時間が経てば、それなりに収まってきますが、一度壊れた国民の分断はそう簡単には元に戻らないのですからね。