ハードローとソフトロー

 CSRを語る上で、まずはハードローとソフトローという二つの概念を分けて考えることが、話をより分かりやすくすると思います。

 端的に言えば、ハードローとは議会などで成立した法律や条例などで、これに違反すれば当然法的な制裁を受けます。一方でソフトローとは、法的な拘束力がないものの、社会規範によって企業活動に影響を及ぼすものです。
 基本的にはCSRは、後者であるあるソフトローの影響下によって取り組まれているといってよいと思います。2000年ごろから国連グローバルコンパクト、ISO26000、GRTスタンダード、OECD多国籍企業行動指針などがたて続きに策定され、企業のCSR活動を促していることからもこのことは言えるでしょう。
 法律的に強制してしまうよりも、それぞれの企業に自主性や独自性に任せた方がCSRはより効率的に、かつ適切な形で社会に浸透する。そういったことが識者の中で考えられていることは想像するに難くありません。
 ただこのソフトロー中心の潮流の中で、最近ではソフトローのハードロー化も徐々に進んでいます。2010年に米国で成立したドット・フランク法(金融規制改革法)をはじめ、2012年の「カルフォルニア州サプライチェーン透明法」、イギリスの「現代奴隷法2015」など従来の指導原則によってではなく、法規制によって企業の行動を促す動きが起き始めているのです。

 CSRをソフトローによって促すべきなのか、ハードローによって促すべきなのか。それぞれにメリットとデメリットがあり、どちらが正解であるとはハッキリとは言えません。ただソフトローによる指導原則によって、企業活動を促していけば、時間はかかるかもしれませんが、いずれそれが実を結び、適切なタイミングで各国に適切な法律が出来ていくこともあり得るでしょう。

 こうした流れの一つの大きな例としては、フランスやイギリスが2040年までにガソリン車とディーゼル車の販売を禁止することを法律で決めたことが挙げられます。かねてから存在している、大気汚染、地球温暖化、排ガスによる健康被害と様々な要素を併せ持った社会課題に対して、各国の自動車会社がこの社会課題に対して真正面から取り組んだからこそ、電気自動車やハイブリット車が実用化され、それが故にフランスやイギリスは今のタイミングで法規制に踏み切ることが出来たのです。
 
 もちろんこの件に関しては、問題はまだまだ多くあり、政治的な思惑もあると思います。ただソフトローを積み重ねることによって、企業や市民の意識が変わっていき、やがてテクノロジーの進化とともに法律も変わっていくという一連の流れそのものに関してでいえば、この件はきわめて自然で分かりやすい一例であると評価することが出来ると個人的には評価しております。

 企業や人々が社会の急激な変化によって混乱しないためにも、力による変化ではなく、意識に変化によって徐々に社会が変わっていく。ときに早急に法律で規制する必要があったとしても、なるべくなら、多くの人が納得できるような形で社会課題の解決がなされていく方が健全であるとはいえないでしょうか。