高校野球「球審が誤審を認めて謝罪」に新しい時代の変化を感じる

高校野球「球審が誤審を認めて謝罪」に称賛も「ビデオ判定導入」を望む声

これは割とさらっと流されたニュースではありますが、ちょっと大事な話を含んでいると思います。

広陵対敦賀気比の試合たったんですけれど、問題のプレーは4回。
無死一塁で、打者が犠打で転がした打球が一塁線上に転がり、球審はフェアの判定。
しかし二塁塁審がファウルのジェスチャーをしたため、一塁走者が走るのをやめて一塁に戻ってしまったんです。
結局一塁走者が二塁に進めずに併殺になってしまうんですけれど、これは二塁塁審の明らかな「誤審」です。

まあ、通常なら審判の判定は絶対だということで、このまま試合は続行されます。
プロならば今はリクエストがあるので、覆ることがありますが、高校野球では審判が言うルールに従うことも教育の一環なので絶対です。

でも、この試合の審判団は直後に協議を行い、判定を覆したんですね。
犠打による走者の二塁進塁が認められたんです。
しかも場内アナウンスで自分たちのミスジャッジを認めて謝りさえもしました。

これは本当に素晴らしいです。
とかく日本の社会では、上に人間の言うことは絶対で、たとえそれが間違えだと分かっていても、訂正せずに突き進むことが多いです。
分かりやすいところで言えば、検察や警察の捜査の在り方はそういうところが多分にあることはよく聞く話ですし、政治家にしても企業の経営陣にしても、それをキチンと説明して謝罪するということは滅多にないです。
ネットが炎上するなどよっぽどのことがないとないんですよね。
あっても、それは世間向けで、自社の従業員に向けたものではありません。
でも、もはや上の人間なら、何を言ってもいい、下から文句を言われること自体がナンセンス、という時代は終わっているんですよね。
隠して誤魔化そうとすればするほど、逆に傷つくんです。

企業の不祥事なんかもそうですね。
誤りが分かった時点で、すぐに謝罪してそれを改善する行動を示した方が企業のレピュテーション自体が上がることになるんだから、結果的にいいに決まっているんですよね。
でも、未だにそうした単純なことがわからず、時代に取り残されている人がたくさんいます。
しかもそういう人に限って、結構社会的地位が高かったりするから困るんですよね。
それまで自分は上からの抑圧に耐えてきた。
だから、自分が上に立った今は、自分も下の人間を従わせることが当たり前だと思っているんです。
旧態依然とした人たちです。
こうした考え方の持ち主は、もう組織に悪影響しか及ぼさないということが分かった方がいいです。

まあ、今のロシアとか完全にそういう感じですよね。
明らかにプーチンの戦略的なミスなのに、クレムリンでは多くの人が何も言えずに、プーチンが正しいことになり続けているってね。
こういう影響力が大きい人がトンチキなことをやればやるほど、そのコミュニティ自体がおかしくなってしまうんですよね。

まあ、何はともあれ、とかく上下関係のしがらみという印象が強い高校野球で、こうした新しい変化が見られたのはとてもいいと思います。
高校野球の審判はボランティアでやっているそうですが、今回の一連の対応は社会的な意味を考えても、本当に素晴らしかったと思います。