麻原彰晃と水俣病

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55263

水俣病がチッソという企業の企業城下町だったからこそ、被害が広まったという話ですが、こういう話は地方では本当に起こりやすい現象ですね。

わかりやすいのが原発が立地しているいわゆる原発ムラなのですが、わたしの場合、妻がある原発ムラの出身なので、実際に話を色々と訊き、また何度も現地の雰囲気を見ているのでわかるのですが、やはりそういうしがらみが何もない地域に比べて特殊な部分はあります。

ようするに、コミュニティそのものが、そこで一番力を持つ企業の動向を中心に回ってしまうのですよね。しかもその地域に住む人の多くが、すでにその企業の関連会社で働いていたり、また癒着をしていたりするので、自然とその地域はその企業の言いなりになって、経済的に首根っこを巧みに掴まれているわけですから、ほとんどの人が抵抗出来なくなってしまうわけです。むろん、この体制に対して反発する人もいるのですが、そういう人はたいていの場合、村八分にされたり、ちょっとおかしい人などとレッテルを貼られてしまったりするわけです。しかも始末に悪いのが、その関係が子どものコミュニティにまで及んでしまって、虐めのキッカケになったりもします。ようするに、水俣病における地域と企業の関係は、水俣に限った話では決してなく、日本各地にどこにでもある話で、しかもまだ現在進行中の話でもあるんですよね。

そして、このような権力の不都合をいとも簡単に隠してしまうような体制においては、必ず後になって問題は出てきます。原発事故がなぜ起きたのかを検証するときに、東京電力がいかに隠ぺい体質であり、それがある種の引き金になっているということは皆さんもご存じのとおりです。

水俣病に関しては、チッソが事実関係をずっと認め続けなかったゆえに、被害が新潟にまで拡大しています。またこれはあまり知られていない話なのですが、当時水俣病が問題になっていた時期において、その目と鼻の先にある八代市にあのオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚がいるという話も事実です。
そして、藤原新也さんの「黄泉の犬」や森達也さんの「A3」に詳しく書いてあるのですが、松本智津夫元死刑囚が先天的緑内障でほぼ全盲であったことは、水俣病に原因があるかもしれないという可能性そのものが存在していることも事実です。
まあ、あくまで「たら、れば」の話であり、今になっては状況証拠だけで証明しようのない話であるのですが、ただ少なくとも松本智津夫元死刑囚が当時感情的に大いに揺れていた水俣市のすぐそばで生まれ育っていたことは間違いのない事実であり、そういったコミュニティの中で障害者として生きていく中で、さまざまな影響があったことも想像に難くありません。
もちろん、だからといって、松本智津夫元死刑囚の罪に酌量の余地が生まれるわけではなく、その罪そのものを否定するわけではありません。ただなぜあのようなモンスターが生まれてしまったのかを考える必要であり、そのことにおいて、彼が生まれ育った環境についてはもっと注目はされるべきだと思います。

松本智津夫元死刑囚と水俣病との関係性が「黄泉の犬」や「A3」で取り上げられた際、特にほかのメディアはその可能性について追及するわけでもなく、結局この話は世の中的にはほとんど無視されてしまいました。
水俣病訴訟を対応していた当時のチッソの社長が皇太子妃雅子様の母方の祖父であったという事実や、松本智津夫元死刑囚に対する厳しい世論からの厳罰の声などがこうした可能性へのメディアの追及を及び腰にさせてしまったのかもしれません。それとも単にその可能性そのものが眉唾物である可能性があり、メディアはそれを追及することで逆に非難をされてしまうことを恐れたかのかもしれません。
もはや松本元死刑囚が死刑になってしまった今となっては、闇の中に葬り去られてしまった話ではあるのですが、ただ第二、第三の麻原彰晃が出現しないためにはどうすればいいのかを考えることは出来ます。

企業がその企業城下町のコミュニティを支配するという構図そのものが、イコール麻原彰晃のような人物を生み出す土壌になっていると短絡的に主張をするつもりはありませんが、ただこうした半ば強制的な関係性が様々な不具合を生み出している可能性は大いにあり、またそう簡単に拭える話ではありません。
もう一度言いますが、水俣病におけるチッソと企業城下町の関係性によく似た状況は、今も当たり前のように日本中にある話です。東京などの大都市部に住んでいる人からすれば関係のない話に聞こえてしまうかもしれませんが、こうした支配の構造そのものが国を形作っていることや、またそのことによって様々な不幸が生まれかねないということは、皆が知るべき話なのではないかと思います。