https://president.jp/articles/-/28002
今の若者は、不況下の日本しか知らないために、消費意欲が乏しく、実際「若者のクルマ離れ」「お酒離れ」「海外旅行離れ」など、ここ数年「若年消費が減退している」とよく聞かれます。そんな中で、最近、その傾向に逆らうかのように一部の金遣いの荒い若者たちが出現していて、彼らの正体は何者なのかと謳ったのが、上記の記事です。
まあ、ようするに彼らは、好調な業界の大手企業に勤め、二十代のうちに年収一千万前後を貰っている人たちなんですよね。
しかも彼らの素性を調べたら、ほぼ全員がそもそも裕福な家庭で育ったが故に学歴が高く、またかなりの確率で帰国子女だったという話でした。
この話は意外と重要な話だと思います。なぜなら、すでに実際の格差社会が欧米並みになってきているということですからね。
しかも日本の場合、やっかいなのが、地域によってそこまでハッキリと人種や貧富の差によって住んでいる場所が異なっているわけでもなく、またそこまで大量の移民が入ってきたり、韓国関連を除いては目立った差別主義も見られないために、これらの状況がとても見えにくい状態になっている点です。
形式上は、露骨な身分制度があった時代とは違い、「今は頑張ればどうにかなるんだから」という理由で、今のこの格差社会は、格差の上の方にいる人たちからは肯定されているのですが、これはハッキリ言って違うと思います。そもそも単に昔は、制度によって越えられない身分差があったのに対し、今は経済によって身分差が生まれているのに過ぎないのですからね。実際、小さいうちから、学ぶことの意義をしっかりと教えられ、そのための環境や資本を充分に与えられた人と、なぜ勉強しなけれならないのかを教えられない上に、幼少期から環境や資本に恵まれずに、生きることに精一杯だった人とでは、まったくスタートラインが違っていて、これを「努力」や「自己責任」という言葉だけで説明しようというのは無理があり過ぎます。
問題は明らかに、それぞれのカテゴリーに住む人たちが、それぞれの存在を知らない、もしくは知りたがらないという点にありますね。
多くの格差の上の人にいる人たちは、自分の身近に本当に生活に困窮している人がおらず、またそもそも住んでいる地域の近所であったり、通ってきた学校や職場に関しても似たような境遇の人しかいないために、実感として貧民層のリアルが全く見えてきません。そりゃそうですよね。自分の周りにそもそもいないわけですから。だから、日本の子どもの七人に一人が貧困状態にあるといっても、ニュースの記事としてしか理解出来ず、まるで都市伝説かでっち上げか何かなんじゃないかというくらいの印象しか持っていない人が大半なのだと思います。
さらにもっと言えば、格差の上位に立つ人は、自分たちの周りの世界の不都合な現実をあまり見たがらない傾向もあるでしょう。なぜなら、自分たちが裕福であるためには、資本主義の原理上、その煽りで貧乏な人がいるわけですからね。そのことにまともに目を向けてしまえば、自分たちの豊かな生活を否定することになり、良心の呵責が生まれてしまいます。それなら、出来ることとならそういった不都合なものには目を向けずに、今の自分の豊かな生活は肯定されるべき権利なのだと思い込みたくなってしまうのが当然の人間の心理です。
一方で、格差社会の下の方にいる人たちは、そもそも裕福な世界に住む人と接する機会がほとんどありません。あっても、すでに将来を約束された大企業の正社員と、そんな彼に頭を下げて仕事を貰うという立場の人間といった、すでに固定化された関係の中で出会っている程度です。
ですから、裕福な人たちがどんなに良い環境で勉強をしてきたのか、そのためにどれだけの資本が使われてきたのかということを想像することすら出来ておらず、自分の身の周りだけを見て世の中そういうものだと諦めにも似た納得を無意識のうちにさせられているのが現状なのだと思います。
こういうことを書いていると、一昔前だとやれ「共産主義者」だのなんだのといわれのないレッテル張りをされてしまうのですが、わたしは別に資本主義そのものを否定してるわけではありません。
ただ行き過ぎた格差社会は、結局社会全体にとっては害悪しかもたらさないことは歴史が証明していることなのだから、そこは是正するべきだと思うし、少なくともお互いのカテゴリーにいる人たちが良くも悪くもどういう状態でいるのかを知る機会を増やすこと、また教育や就職などにおいてはより高度な機会均等が実践されるべきだと思っているのです。
それにはまず優位に立っている人たちから階段を下り、自分たちのためだけじゃなく、社会に対して何が出来るのか、また何をするべきなのかを考えなければいけません。
哲学者のジョン・ロールズは「正義論」で、生まれつきの持っている社会的優位さ(ようするに私有権ですね)を社会として肯定するならば、それを持って教育された人たちは、社会に対してその知見を還元をしなければならない(つまり「正義」を実践するとはそういうことなのだ、と言いたいのですね)といった主旨のことを言っています。
国連のSDGsや、それぞれの企業で行われるようになったCSRなどもこうした考えに基本的には基づいたものです。
世界には、今の極端な格差社会がはびこる世の中がおかしいと思っている人たちもたくさんいることは救いです。
厳しい現実に対して、目や耳を塞いではいけません。自分たちの社会を変えるのは、自分たち自身しかいないのですからね。