「トゥモロー・ワールド」
2006年公開/イギリス・アメリカ
思っていたイメージと違っていた分、とても楽しめ映画でした。てっきり、そのタイトルから、もっとハリウッドっぽい印象の映画を想像していたのですが、似たような題材でもここまで違った感覚で撮るのかと思うぐらいに、ヨーロッパ色の強い映画でした。
物語の舞台は、2027年の近未来のイギリス。世界は恐慌状態に陥り、人間が生殖機能を失ってから、18年が過ぎたという設定です。まあ、まずこの設定からして、大抵のSFファンは惹かれるところですね。
個人的には、エリートたちが最新の機械を使う一方で、一般市民や移民たちの頽廃した生活ぶりを見事に描き出している時点で、ほほぅ、とまずは唸ってしまいました。この映画は単なる娯楽じゃなく、SFを通して、キチンと作り手たちの哲学を示してくれる映画なんだな、と。
それで主人公のセオが、元妻のジュリアンがリーダーを務める反政府グループ‘フィッシュ’に拉致され、キーという名の若い黒人女性と行動を共にすることによって、話が動いていくのですが、面白いのが、いつまで経っても、セオは、さえない中年のままで、自分自身に物語を前に進めようという気があまりないというところ。この時点で、もう完全にハリウッド映画とは、一線を画しているのですが、そんな彼を通してだからこそ、わたしたちは、この映画を通して、作り手たちが何が言いたかったのかを知ることが出来るんですよね。
作り手たちが、この映画で言いたかったこと。それは、未来が見えないと、世界がどれだけ頽廃してしまうかであり、そして、未来への希望なしに、人は生きられるか、です。
つまり、息子を失っているセオは(父親の言葉を借りれば、運命に負けた)、未来が見えない世界の象徴であり、そんな彼が、奇跡的に妊娠をしたキーを守ろうとすることで、少しずつ頼りがいのある人間に変わっていく。そしてその結果として、人間が強く、生きるためには、未来(子供というのは、一つのメタファーね)が必要だ、ということを教えてくれるのです。
なので、この映画、体面上は、キーをいかにヒューマン・プロジェクトという組織に送り届けるか、という話になっているのですが、実は、届けられるかどうかは、客をひきつけるための方便に過ぎず、あまり重要じゃありません(実際、最後までヒューマン・プロジェクトが何なのかよくわからないし、それを阻止しようとするフィッシュの目的もよくわかりませんしね)。重要なのは、あくまで、セオの気持ちの変化と、物語の背後にある、世界観の対比なのです。
その証拠としては、この映画が独特の作り方をしていることを説明すれば、十分だと思います。まずわかりやすいところから言えば、SF映画に似つかわしくなく、この映画では、異常なまでに長回し(要するに、シーンをカットしてつながないで、カメラでずっと被写体を追い続けること)を多用しています。
長回しを使う、ということは、主人公の表情やセリフだけを切り取るだけじゃなく、彼を取り巻く環境や状況、つまりはこの世界の現実をつぶさに見せたいがゆえです。ここに、主人公たちの行動を追って、その結果を描けばいいという大抵の娯楽映画とは、違う点があるのです。この映画にとって、重要なのは、何が起こったか、ではなく、あくまで主人公やそれを取り巻く人間たちのリアルな息遣いであり、今、そこにある、感情であるのです。
そしてもう一つの表現方法を説明すれば、もっとわかりやすいと思います。それは、この映画がたまに見せる、独特のカッティングなのですが、この映画では、しばしばカットのつなぎの部分で、すぐに次のシーンに行かないで、立ち止まります。つまり、戦闘シーンであれば、普通は、主人公の次を常に追うのですが、主人公が立ち去った後もカメラはそこに止まり、そしてそのほかの群集を無視せずに、そこで泣き叫ぶ人々の姿や、傷つき倒れた人々の姿を映し出すのです。
そう、実は、ここにこそ、この映画の意味が隠されているんですね。これが世界の行く末のリアルなんだぞ、という事実を、セオの主観によってだけじゃなく、客観的に、かつ何気なく見せることによって、観ている人間の心に、人が生まれないというのに人を殺し合ってしまうという矛盾に満ち溢れた、その圧倒的な世界観を植えつけていくのです。
近未来を描いたSFなのに、ここまでリアリティで押してくる作品も珍しいですね。わかりやすく言えば、ハリウッド映画では、当たらない弾が、この映画では、それが、たとえどんな重要な登場人物であってもバシバシとリアルに当たってしまうのですが、でもやっぱりリアリティがあったほうが、人は深刻に心で受け止めますよね。
一つだけ残念だったのは、観たあとの感覚として、設定以上の何かがあまり感じ取れなかったところ。圧倒的な世界観を見事に映像化していたのですが、逆の言い方をすれば、その設定ならば、そういう世界観になるだろうな、という感じがして、それ以上の、広がりがあまり見えなかったんですよね。
そこにね、もう一歩先の、見たことも、感じたこともないような感覚を、最後に味あわせてくれたら、この映画は、本当に、歴史に残るような、ものすごい映画になっていた可能性があると思うのですが。でも久しぶりに、本物のSFを観たと感じされてくれる作品でした。