「アナと雪の女王2」

「アナと雪の女王2」
アメリカ/2019

エンターテイメント作品として単純に面白かったです。
CGの技術だけ見ても、四季折々の季節を見事なまでに表現していましたし、ふんだんに歌われる歌も楽しむことが出来ました。
すごく楽しかったです。でも、その反面で個人的にはディズニーの限界を知る映画であるとも思ってしまいました。

ここから先はネタバレになるので、映画を観た人だけに読んでほしいのですが、

わたし個人としてこの映画で一番良かった点は、テーマを人の畏れにしている点です。
つまり、どうして人々が対立をし、森が霧に閉ざされてしまったのか、その理由をエルサが知る訳なんですが、苦難の末に見つけた答えが、エルサの祖父の謀略であり、その謀略が彼の畏れから出てきたという点がすごく重要で、すごくいいことを言っているんです。
これは、右派ポピュリズムが蔓延している、わたしたち日本人も耳の痛い話ですね。
最近の話でも、他国を必要以上に畏れ、それが差別や対立につながっています。
それはたぶん、ほかの国も同じで、9.11後のアメリカなんて、ホントにドンピシャの話です。
要するに普遍的な話をしっかりと描いているわけですね。
ここを恐れずにテーマにしている点はとても共感できたし、それに負けずに、自分たちの国が壊されてしまう可能性を顧みながらも、正しいことをしようとするアナとエルサの姿に誰もが拍手をしたくなります。

ただ、この映画には実は欠けている視点もあり、それがないことで、逆にそのことの重要性を露わにしています。それは憎しみの感情です。
憎しみを描かない、つまりはそこが何となくうやむやになっているからこそ、エルサもアナも正しいことをしようと頑張れたわけで、でも憎しみの感情が描かれていれば、話はそんな簡単にはすまず、そもそも何十年も閉じ込められて対立していた民族同士が簡単に和解するわけもありません。もっと言えば、アナやエルサが正しいことをしようとしても、それが正しいかどうかもわからなくなってしまいます。
つまり憎しみというフィルターが普遍的な正義をぼやかし、何が正しいかどうかをわからなくさせているのが、現実の世界で、この映画はそれを意図的に描かないことによって成立している映画なんですね。

でも、だからといって、そのことで安易にディズニーを批判することは出来ません。
それは、ディズニー映画はどこまでいっても子どもを楽しむという立ち位置に立っていて、子どもに剥き出しに憎しみを見せないというのをおそらく一つの哲学としているからです。
なので、人間の畏れを描くという点ではこれが限界でしょう。
それ以上は、それを観た人たちがどう現実にある、自分たちのそれぞれの畏れに対して、立ち向かえるのかという話ですね。
立ち向かうというのは、もちろん自分とは違う異質なものに対して立ち向かうことではなく、自分の弱さに対してです。

エンターテイメント作品でありながら、観た後にとても色んなことを考えさせられたとてもいい映画でした。