「天気の子」

「天気の子」
2019/日本

「君の名は。」に続いて新海誠監督と川村元気プロデューサーがタッグを組んだ作品ですね。
光を描くことにこだわりを見せている新海監督が、天気をテーマにするのだからその映像美は目を見張るほど美しいです。映像を観るだけでも単純に楽しめる作品だと思います。また東京に住んでいるわたしにとっては、東京のリアルな街並みがそのまま再現されているのはとても面白かったです。大きな町だけではなく、小さな路地やお店とかもね、見覚えがある場所を通り過ぎていくので、あとで「あのシーンのあそこって、あれだよね」みたいな楽しみ方が出来るのもこの作品の醍醐味かもしれません。スタジオジブリが一倍一倍手書きで丁寧に背景を書いていくのに対して、この新海監督の写真をトレースしてリアルに仕上げていくという技法ももう完全に一つの個性になっていますね。
個人的には、冒頭のひなのお母さんが入院している病院が、わたしの娘たちが生まれた病院と同じ病院だったことと、物語の重要な鍵となる雑居ビルが「代々木会館」であることに驚きました。「代々木会館」は先日解体されたビルですね。ドラマ「傷だらけの天使」で主人公が屋上に住んでいたという設定でも有名な場所です。

さて、物語そのものは「君の名は。」と同じく、男女の距離を巧みに描く新海節と、どんどんと観客を観客に引き込ませていく川村流がうまくブレンドされた形で、思わず食い入るように見入ってしまう内容です。エンターテイメント作品としては申し分のない面白さで、多くの観客は何の違和感もなく映画に没入できると思うし、満足感も得られると思います。
ただ個人的には、ちょっとモヤモヤしたところがあったかな……

まず一点は、神様の使い方について。今回は天気をテーマにして、天気を操ることが出来る女の子にフューチャーされるアイデア自体はとても面白いと思います。確かに、このアイデアだけで一本の映画が作れるし、今回のこの映画もそもそもはこのアイデアを元に話を膨らませて行ったんだなと容易に推察できます。
ただ今回も「君の名は。」と同じく、科学現象と日本の神様の話を結びつけてしまっていることにある種の安易さは感じました。
日本が舞台だから日本の神様でしょという理屈は分からないでもないのですが、さすがに二作続けて「それはちょっと……」という既視感はあります。しかも中盤からは科学現象に対する説明は語られなくなり、あくまで超常的な力の話になってしまっていますからね。科学的な話を踏まえた上で、それを超常現象がどう反応しているのか、何がどうなっているのか、という説明がまだあればいいのですが、結局は日本の神様の話でリアリティを描いてしまっていますからね……
そもそも歴史的な意味でも日本の神の超常性を科学と結びつける形でそれっぽく見せること自体に危うさを感じるのですが、さらにそれを続けてとなると、さすがに人によっては抵抗感が生まれてくるかもしれません。神社系の人に「天気の巫女」の説明をさせるのではなく、そこはもっと古代の文献とか色のないもの、架空のファンタジー職が強いものでもよかったんじゃないかなと思います。

そして、もう一点は、物語が結局は観ている人たちの感情を引き込むような形で、登場人物たちの感情で収斂されてしまう、いわゆる「セカイ系」でまとめられてしまっていること。
天気の巫女は、その存在と引き換えに異常気象と止めることが出来る。この設定は、いわゆる哲学における「トロッコ問題」です。つまり、片方には一人が、もう片方には複数の人がレールに立っているという仮定の下で、分岐点でレールチェンジの操作を出来る人間が、暴走トロッコをどちらに向けるかという話ですね。何年もかけて問いの出ない哲学の問題をあえて設定として持ち込んだのですが、これはとてもチャレンジングな話です。なぜなら、「それなりの」作家独自の答えがそこに描かれない限りは、ただ観客の感情を煽るための設定を使っただけと言われてもしょうがないからです。
ここからはネタバレになりますが、この映画ではまだ16の子どもにその選択を迫ります。その結果、主人公である帆高は感情のままに行動をします。当り前です。そもそも16の子どもに「トロッコ問題」を背負わせること自体に、ちょっと無理があるように思われます。でも、映画自体がそこに対して開き直っているような感じで、あくまで帆高とひなの感情を優先させて描き、何となくその状況を許容してしまっている。つまり、そこには主人公たちの感情が描かれているだけで、肝心の「トロッコ問題」に対する作り手なりの考え方が全然伝わってこないのです。
何もかもが上手く行くという大団円にならなかったのは良かったとは思いますが、東京の町が一部が水没してしまったのなら、それに対するもっと負の部分も見せなくちゃダメだと思います。「江戸時代に戻っただけ」と言われてもそこは納得できず、家を失った人、仕事を失った人、大切な人を失った人がそこにはかならずいるはずで、そこを描いた上で、主人公たちがそれを観てどう思うのか、それを描かない限りは「トロッコ問題」、すなわちこの映画のテーマに対するしっかりとした答えを作り手たちが出しているとは言えないんですよね。そもそも負の部分については、どうして帆高は島を抜け出したのかという彼の家庭環境や、ひなのお父さんや親戚などはどうなっているのかという、それぞれのバックグラウンドが充分に語られていない部分も不満でした。全部は出さないまでも、観客に想像を膨らませるぐらいの情報があった方があるかに映画としてはしまりがあったと思います。
厳しい方ですが、映像のクオリティやキャラ設定、物語の運びなどその他の点が満足度の高いものだっただけに、その一番大事なところに対する作り手の個性が見られなかったのは残念でした。

最後に余談ですが、前作「君の名は。」の登場人物たちがカメオ出演をしているのは面白かったです。時制的に矛盾があるという話もありますが、同じ人の作品でこういう楽しみ方はアリだと思います。

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