介護虐待が起きる理由が、意外にもわたしたちにも身近な話だったこと

老人ホームで「介護職員による入居者虐待」がなくならない本当の原因

老人を縛りつける。老人を閉じ込める。食べてる途中で老人から食べ物を取り上げる。

虐待で処分される介護施設でよく見る光景です。なぜ介護施設で介護虐待が起きるのかが詳細に書かれた記事ですが、正直かなり考えさせられました。
筆者はまず偏見でも何でもなく事実として介護をする仕事に就いている人の多くがコミュニケーションが苦手な人が多いことを前提に話を進めます。
それはよく考えてみると当たり前の話です。
まず子どもを教育することが好きだという人はたくさんいても、老人を介護するのが好きだという人はあまりいません。
その上、施設にくる老人は介護が至るところで必要な上に認知機能が衰えているので、怒りやすかったりハラスメントまがいなことを逆にしてくる利用者も少なからずいます。
そのような労働環境の中で賃金が安い。
そうなると、介護施設で働くことを避ける人が多くいることも事実であるし、実際にほかで就業出来ずに介護に来るしかなかったという人が多くいるというのも事実なのです。

そして、そのことを前提にした上で、問題は、介護施設での仕事は介護保険に則ったことをやらなければならないという点にあるそうです。
つまり利用者に対して1日にやらなければいけないことが厳密に決められている。
それに合わせるように働く側のシフトも厳密に決められている。
うまくそのシフトが作用すればいいのですが、相手は認知機能や身体機能が衰えている老人です。
いくら職員が焦ったところで、老人が気乗りしなかったり、うまく体が動かせなかったりすれば、たちまち時間は押してしまいます。
それでもちゃんと次の引き継ぎの人に引き継げばいいんじゃないか。
普通の感覚ならそう思うでしょう。
でも、まず次のシフトの人にも自分の時間内にやらなければいけない仕事があります。
その上、最初に言いましたが介護現場で働いている人にはコミュニケーションがうまく取れない人がたくさんいます。
そもそも相手の感情を害せずにうまく引き継ぐことを伝えること自体が難しいのです。
さらに、その介護を請け負っている会社の体質が縦社会であり、パワハラ気質があれば、時間内に出来ない=仕事が出来ないと見なされて怒鳴られたり、なじられたりするのです。
そうなると、介護している人からしてみれば、とにかく時間内で終わらせることばかりを考えるようになります。

老人を縛りつける。老人を閉じ込める。食べてる途中で老人から食べ物を取り上げる。

もうわかりますね。
介護施設で行われる虐待の多くは、利用者への憎しみよりも、こうした劣悪な環境に問題があるのです。
そして、なぜ介護現場で働く人たちがこのような精神状態に至ってしまうのか、そのことを考えると実は介護現場とは関係のないところで働いているわたしたちにとっても問題が身近なところにあるのだということに気づかされます。
介護現場で働く人がなぜどんな手段を使ってでもとにかく時間内に仕事を終わらせようかと考えるかというと、介護を請け負う会社や現場のマネジャーに仕事はお互い様だという観念が希薄だからです。
なぜお互い様という観念がないかというと結局引き継ぎをすれば仕事を次の人に残してしまうことを当たり前だという話にすると、毎回のように残してしまう人とそうじゃない人に分かれしまい、それが不平等だという話になってしまうからです。
そしてさらに言えばそういうシステムにすると必ずズルをする人間が出てきて、そうした人間がのさばるのはけしからん、なので、その手の人間がズルをしないためにも、自分の仕事は時間内にキッチリとやれという話になってしまうのです。

ここまで言うと、そうした話が介護現場に限った話ではなく、どこにでもある話だということに気がつきますね。
わたしたちの社会は、極端にズルをする人を恐れてわたしたち自身を縛り上げているのです。
ズルをする人間が許せない。自分は損はしたくない。
その気持ちはわかります。
でもだからと言って一部の極端な例を基準にして物事のルールを決めてしまうことほど愚かなことはないのではないでしょうか?
ズルがいる人はどうしてもある程度の数は出てきます。
でも、それは一部の人間です。
皆がうまくやるというルール作りと、ズルをした人を見つけて、ズルをさせないようにするというルールは基本的にゴッチャにするべきではありません。

介護現場の話で言うなら、理由があって次の人に引き継がねばならなくなったこと自体はしょうがないはずです。
なぜなら時間通りにこなすことが仕事ではなく、利用者が満足出来るようにすることが仕事だからです。
でも仮にそうした場合、誰かが負担を背負わなくてはならない。
そうでしょう。余分となった仕事は誰かが背負わなくてはいけないのですから。
でも、その余分となった仕事をどうすればうまく捌けるのかを考えるのは、現場にいる末端の仕事ではなく、その責任者であるマネージャー、もっと言えば請け負っている会社そのものでなくてはいけないんです。
単純に余分な仕事が次から次へと出てきてしまっているのなら、それは人手が足りていないんです。
なので、マネージャーはそのことを訴えて会社はそれに応える形で人を増やす努力をしなければいけません。
また誰か特定の人だけが毎回のように引き継ぎを要する仕事を生んでしまう場合は、その人がどうすれば他の人と同じようにできるのかをマネージャーや会社がその人と一緒に考えていかに改善が出来るのかを考えなくてはいけないでしょう。
会社としてそうした努力を怠りながら、ただ一方的に時間内に終わらないのはその人の能力不足だと決めつけ、そうした評価が当たり前のことだという空気感を作り出していけば、それによって精神的に追い詰められていく人が出てくるのは必然です。
またそうした人たちにコミュニケーション能力が乏しければ、尚更そうなる可能性が高くなり、問題がこじれる場合も多くなるでしょう。

もちろん虐待行為そのものは許される訳ではありませんし、加害者も罪に問われなければいけません。
ただわたしたちは、その行為をしてしまった加害者のみを責めるのではなく、なぜ加害者がそれをしてしまったのか、その原因も考えて、そこを正さなくてはいけないのです。
極端に悪いことをしている人だけを取り上げて、正しいと思われる行いすべてを否定してしまうというというやり方は、その正しいと思われる行いを全否定したいときの定石のやり口です。
生活保護の話などを思い浮かべていただければわかりやすいと思います。(生活保護の不正受給の割合は全体の1.64%しかありません)
木を見て森を見ないやり方では、同じところをグルグルと回り、結局は一番の弱者にその矛盾を押しつけられるだけです。
誰かが追い詰められるやり方ではなく、出来る限りみんながやりやすいやり方を考えてやってみる。
そこで生まれた問題は、それとしてまた考えてみて解決方法を探す。
マネジメントをするとはそういうことだと思います。

もちろん介護施設の中でもこうしたアプローチをしっかりととって運営しているとこれろはたくさんあるはずです。
利益だけを追求するのではなく、そうしたやり方が当たり前になることを切に望みます。
結局、長い目で見れば、働く人を大事にしてちゃんと育てた方が、間違いなく会社にとって利益をもたらすはずですからね。

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