「ニムロッド」
著 上田岳弘
芥川賞受賞作ですね。
サーバーをメンテナンスする仕事をしながら、ビットコインを掘る仕事をするように社長に命じられたぼく(中本哲史)を主人公にした話です。
書評を見てもいい意味で芥川賞受賞らしく、称賛する声となんだかよくわからないという声に二分されています。
まあ、確かに物語に人の情感によるカタルシスを求める人には、この作品は取っつき悪いものとして映るでしょうね。
これはいい悪いとか、低俗か高尚かという話ではなく、小説などのナラティブに対して読んだ人が単純に何を求めているのかという違いなんだと思います。
この物語の場合、どんどんと世界が技術化されていく中で、無力化していく人間というものをテーマにしていると思われるので、どうしてもそこに出てくる人間を感情的には描けず、むしろそこを描かないことで、希薄化していく人間そのものを描き出そうとしているのでしょうね。
感情もなく時折主人公の片目から涙が流れるというのは、おそらく人間に残された最後の感情のメタファーでしょうし、片目から理由もなく流れる涙がギリギリに表現されている感情であるという時点で、物語に感傷的に浸りたいと思う人には、この作品は読み解きにくいものに映るかと思います。
個人的には、そうした人間の感情の希薄化を描いていく中で構築されていく主人公と主人公の恋人である田久保紀子、それに主人公の先輩であるニムロッドとの関係性が面白かったです。
この三人、主人公を真ん中にしたヤジロベエのような関係になっているんですよね。
つまりバリバリにキャリアとして働きたくさんのお金を稼ぎながらも中絶と離婚による精神的なダメージを持ったまま、人として生きることの意味を見失ないかけている田久保紀子と、普通に働きながらも、小説家としての夢が破れてからはより世の中を達観的に見るようになり、これまた人として生きることの意味を見失いかけているニムロッドの間に主人公がいて、主人公がそれぞれの話の聞き役になることで主人公を軸にした関係が成り立っている。
ここからはネタバレになりますが、注目するべきは、間違いなく主人公がいなければ、成り立つことない田久保紀子とニムロッドの関係で、この結果的に同じ想いを抱きながらも、生きる世界も思考のプロセスも違う二人が近づくことで、そもそも薄氷の上にどうにか構築されていた三人のプロセスがいとも簡単に崩れていくわけですね。
論議を巻き起こすのは、田久保紀子とニムロッドの関係がその後どうなったのかを読者の想像力に委ねている点です。
普通に考えれば、接点がなく、物理的な距離が離れている二人が主人公を差し置いて近づくということは考えられません。
ただ画面越しながらも主人公がニムロッドに田久保紀子を紹介したことで三人の関係が終わる(つまり、主人公がそれぞれ二人と連絡が取れなくなる)ことを考えると、状況的にニムロッドと田久保紀子がくっついて、主人公に対して後ろめたさを感じたがゆえにそれぞれ主人公との連絡を絶ったという図式が形上は成り立つのです。
個人的には、この結末には、最後に作者が読者を試しているような意図を感じました。
従来の人間的感覚からかんがえれば、ニムロッドと田久保紀子がくっついたと想像してしまう。でも、ここで描かれているのは、感情が希薄化しつつある人間であって、だからこそ、ニムロッドも田久保紀子もこれ以上近づくことを恐れ、またその媒介となっていた主人公との関係を立つことを選んだという解釈が成り立つのです。
実際にそのことを証明しているかのように、二人に関係を絶たれたあとでも主人公は、淡々としています。
それは主人公自身の感情が希薄化しているということもあるでしょうし、同時にまた主人公もニムロッドと田久保紀子のそうした感情の希薄化と恐れを理解しているからこそ、二人がくっつくことがないことを確信しているんですね。
だからこそ彼は、二人がいなくなっても感情がかき乱されずにすんでいるのでしょうし、ただ淡々と新しい仮想通貨について考えられるのだと思います。
それにしても、わたしは仮想通貨とは程遠い世界で生きていますが、こうしたものが現実にもはや社会の中に入り込んでいるんですね。良くも悪くも時代が確実に変わっていっていることを感じます。文学として楽しめただけでなく、現代性を肌で感じるいい機会となった小説でした。