「推し、燃ゆ」 著 宇佐見りん

「推し、燃ゆ」 著 宇佐見りん

タイトルや本の装丁を見て勝手に抱いていた印象と読んだ後の読後感がだいぶ違う作品だなと思いました。
論評などには、内容のぶっとんだ感じを評価している声が結構多くあったので、てっきりイメージ的には本谷有希子さんのような感じの文体の人かなと思っていたのですが、読んでみたら、今の若者の等身大の生きづらさが描かれているんだなと感じました。
一見、表題だけ見ると変わった性格の子のとんがった叫びが描かれているのかと思われるんですけれどもね、実は普遍的な話でそこへの落とし込み方がこの作品の特徴であり、芥川賞として評価された部分なのかなと思います。

確かに作品として、いわゆる芸能人などへの推しに傾倒し、押しを押すことによってでしか自分という人間を見つけられない人間を描くという着眼点は素晴らしいです。
程度の差こそあれ、意外と周りにもよくいる人物像でありながら、見逃されてきていた人たちなんですよね。
もちろん、推しという言葉こそなかったものの、何かの対象に対して以上に没入してしまうという人は昔からいました。
ただネットの登場で対象との関わり方やそうした人たちへの認知度が変わってきましたし、そもそも経済そのものがそうやってアイコンを作り上げて没入させることで成り立っているわけですから、実はこの話は、奇抜なことを描いてそうで、極めてそこら中にある現代社会の一般的な風景を描いているんですよね。

ようするに、この作品は、目の前にありながらも、ぼくらがその現状を認めたがらないできた話を形にしているわけで、話を読み進めていくうちに、これが笑えない話だということに気づかされていく話なんだと思います。
まともな側にいて、主人公に働くように促す父親にもまた推している声優がいる。
推しに狂った人間がヘンなのかと思いきや、実はその人間がまともかそうじゃないかなんて、紙一重なんだということ、そして世間からまともじゃないと思われている人にもその人なりの理由があるのだということがテーマとしてよく伝わってきます。

しかし、昔も若者は生きづらかったけれど、今の若者も負けじと今の時代に合わせるように生きづらそうですね。
結局、世間が納得する形で働き、ライフステージを上げていかない限りは安寧を得られないとなると、何だかそれは当たり前のようでいて、寂しい世界でもありますね。