あまり目を向けられない「中学受験の弊害」

「中学受験の弊害」親が想像もしない数年後の苦難子どもと親子関係に一生涯の「傷」を残す可能性

ああ、これは個人的な経験からもすごくよくわかる話ですね。
中学受験が東京などの大都市では盛んですが、それが必ずしも子どもや家族の幸せにつながらないという話です。
記事では、親があまりに入れ込み過ぎてしまったために、子どもが離れていき、大人になってからも関係が改善しないケースや、自己肯定感が否定されて、その後の子どもの人生がひどいことになったという話が続いています。

わたし自身は中学受験はしなかったのですが、わたしは比較的都内でも中学受験が盛んな地域で小学校自体を過ごしました。
そのまま公立中学に上がると、受験をしなかった組と受験で敗れた組の二手に綺麗に別れます。
で、わたしの経験だと、受験で敗れた組というのは、その多くの場合、やはり自己肯定感を打ち砕かれていて、そのまま中学で勉強に身が入らないという人が多いんですよね。
むろん、これはわたしの感覚的な話で、そうじゃない人もたくさんいると思いますが、小学校自体に散々親に勉強をさせれた子って、思春期になると大抵その分の反抗が大きいことは否めません。
そもそも好きで勉強をしている、納得をして勉強をしているという子じゃなければ、何で自分ばっかりが勉強をしなければならず、やったところで、何の成果もあげられないとすれば、やるだけ無駄だと思い、それを強要する人間に対して憎しみを募らせるのは致し方ない道のように思います。

本人が自分で進んでやる分にはいいのかもしれませんが、やはり中学受験は、どうしても親がやらせるというニュアンスが強くなってしまい、色々と無理が生じてしまいますよね。
そもそも中学受験というシステムそのものが、教育格差を広げる要因ともなっているので、ここはちょっと「中学受験」というシステムそのものを考え直す時期に来ているような気もします。

わたしにも、今、1年生と2年生の娘がいますが、早い子はもう受験を意識し始めているのがわかります。
そうする子が現れることで、周りの子やその親が焦ってという流れになっていくことは簡単に予想できますが、ちょっと冷静に考えたいですね。

学歴は確かに大事なのかもしれませんが、学歴だけが子どもを幸せにするわけではありませんし、そもそも自分の幸せやその子自身が見つけなければ意味がないですからね。