誰がために公園はある?

高齢者のクレームで公園から子供が消える「歪な環境問題」への危惧

公園の在り方が世代間闘争の場になっているという話ですね。
この記事で言及されている公園では、老人たちがほとんどを占める自治会が近隣の老人たちに迷惑だから公園で子どもたちに騒がしくするなと貼り紙をし、その結果子どもたちが公園で遊びづらくなり、そのうちにほとんど子どもたちを見かけなくなってしまったという話です。
子育て世代の親たちが自治体に訴えても、それぞれの、自治会にやり方があるからとの理由で介入はせず、自治体自体も実際に訴えが多く寄せられている老人ばかりの意見を聞いてしまっているとのことです。

典型的なシルバー民主主義の弊害が起こってしまっているという話ですね。
もちろん様々な人から意見を取り上げることは大事ですが、問題は声が大きい人たちばかりの意見が通ってしまっているという点です。

まずこういう話をすると、民主主義だから多数決で決まるのが当たり前だと反論する人がいますが、それはそもそも民主主義の本来の意味を取り違えています。
民主主義とは、話し合うことが前提であり、マイノリティを含めて散々話し合った結果としてどうするのかを決めるというやり方です。
多数決とは、その最終手段におけるプロセスに過ぎず、民主主義イコール多数決ではないのです。

なのでこの公園の話でハッキリ言って間違っていると言わざるを得ないのは、この老人ばかりの自治会の対応です。
自治会としては「ちゃんと自治会で話し合った結果なわけだし、そもそも自治会に入らず、声を上げない若者が悪い」と言って自己弁護をするでしょう。
でも考えてみてください。
そもそも今の高齢者たちが招いた少子高齢化社会のおかげで、大抵の場合どこの自治会も老人たちばかりが中心となっていて、若い人たちが極めて入りづらい雰囲気になっています。
それに加えて現役世代の特に子育て世代なんかは仕事や子育てに追われていて、時間的にも精神的にも町内会の話に首を突っ込む余裕がありません。
仮に何とか自治会に顔を出せたとしても、相当勇気を出して強い態度で臨まなければ、自治会で意見を言うことすら難しいでしょう。
つまり、どんなに老人たちが「自治会に参加して意見を言わない若者が悪い」と言っても、そもそも若者と老人とでは自治会に対する立ち位置が違いすぎてフェアではないのです。

じゃあ、自治会はどうすればいいのかというと、それは、自分たちの意見ありきで物を決めるのではなく、違う他者の意見を自分たちから聞いてみようという視点に立って行動するしかないと思います。
自分たちの方が余裕があり、かつ多勢であるならば、自治会に参加しないから話は聞かないのではなく、若い人たちに意見を聞く機会を自ら作っで歩み寄るくらいの態度を見せるべきだと思います。
わざわざ集会を開かなくても、アンケート用紙などを近隣にポスティングをして意見を募る方法があります。
近隣の小学校や保育園を訪ねて、そこのPTAなどに働きかけて協力を仰ぐ方法もあります。
こうした努力もせずに、自分たちの意見が通るに決まっている自治会での会合で一方的に話を決めて、それがルールだと言われても、それは民主的なプロセスを踏んでいるとは言えないと思います。

別に世代間闘争を煽りたいわけではありませんが、若者が意見を言えない、言いづらい国の未来はあまりに暗いですよ。
中学の部活ではないので、歳上の言うことを聞けという理屈は道理に合いません。
また一部に言われているように、若い人たちも若さを言い訳にして、周りを気にかけないというのも問題があるでしょう。
お互いに自分たちさえよければいいのではなく、自分とは違う人たちのことを慮る。
そうすれば、自然と相手も慮ってくれるものです。
難しいかもしれませんが、まずは自分の立ち位置をひとまず忘れてみたらどうでしょうか。
そして、特定の声の大きい一部の人たちだけがいい思いをするのではなく、出来る限りみんなが幸せになるためにはどうすればいいのかを考えてみる。
これは、地域の話だけの話に留まらず、会社とか政治などにも当てはまる話ですね。

もしも老若男女問わずに誰もがまずみんなのことを考えられたら。
わたしはそういう社会に住みたいです。

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