ドイツの大学受験に“一発逆転”はない!? 始まりは小4 教育制度の土台にある考えとは
よく日本の教育との違いとして名前が出されることの多いドイツの教育の話ですね。
この国の教育で特徴的なのは、9歳とか10際の段階で人生の大まかな選択をしなければならないという点です。
つまり、大学に行って勉強したい人、技術者になりたい人、公務員になりたい人と学校が分かれていて、その年齢の時点でそれをきめなくちゃいけないんですよね。
しかも一度決めたらほとんどそのコースを変えることが出来ないという、結構厳しい話なのです。
この仕組みの利点は、社会の意識として大学はあくまで専門知識を身につける場であり、日本のように大学を出なければいけないという価値観がなく、技術者や事務職など色々な人がいて社会が成り立っているという認識を市民が日常的に抱くことが出来るという点です。
また日本のようにゼネラリストを半端に育成するというのではなく、専門性を持った人間を育成するので、そうした人間を雇用する企業としては、効率性がいいという点です。
逆にマイナスポイントとしては、やり直しがきかないこと。潰しが効く人間ではなく、専門に特化した人材を育てているので、運悪く選んだ専門が職業として消滅したらその人は行き詰まります。
最近では、自動車のEV化に伴って、ガソリンエンジンの技術者が次々に解雇されていて、ドイツでは社会問題になっていますね。
それと、あまりに低年齢で選択をするために、一発逆転が難しいことも問題です。
ようするに幼少期においては、文化資本があるかないかで大学で学びたいという気持ちが変わってくるし、幼児教育をされているこの方が大学進学を考える可能性が高いんです。
これが何を意味するかというと、当然そうした文化資本があったり、幼児教育をなされたりするのは、富裕層に偏っていて、つまるところあまりに早く進路を決めてしまい、しかも変更が出来ないという話では、身分の固定化や格差の固定化を招くということです。
これは大きな問題だと思います。
選ぶことができるといっても、それは判断の怪しい幼少期の話で、事実上身分制があるようなものですからね。
そう考えると、人生において変更がきくという点では、個人的には日本のシステムの方が人に対して優しいのかなと思います。
ただ日本の場合は、システムというよりも、やはり問題は社会意識で、今や大学が企業の予備校のような位置づけになっていたり、大学に行く意味が見出させないままに大学生になってしまう人が多いことが問題点ですね。
経済格差が広がってしまうと、どうしても何をしたいのかを考えるよりも、どうすれば人よりも優位に立てるかが優先されてしまい、そうした空気の中ではなかなか社会を考えて自らの経済活動を考える人材が育ちにくくなってしまうのは懸念するべきことではないかと思います。
100%素晴らしい教育制度というのはなかなかないのですが、ただそれまでやってきたことを馬鹿の一つ覚えのように踏襲するのではなく、外国がやっていることでもいいと思われることはどんどんと吸収して変えていくことが大事ですね。
日本の経済の停滞も、IT化の遅れも、つまるところは事なかれ主義の「変えない」「責任を取らない」というところが一つの要因であることは間違いないですからね。