専門知識があるだけではダメ。応用力を持つ人をいかに育成出来るか。

高学歴なのに貧乏な人が増えているワケ

これは何かわかる話ですね。
勉強が出来るのと、仕事が出来るのとはわけが違うという話です。
受験勉強や高校や大学での勉強というのは、あくまで基礎的なものでしかありません。
大学院などでさらに突っ込んだ専門的な知識を手に入れたとしても、それを応用する力がなければ宝の持ち腐れとなっています。
ただの日本の教育を見る限り、基礎教育には長けているのですが、この応用力と言うか、発想力・想像力、またはそれらを具体的なものにしていくという力が養うという点に関しては、まだまだといったところでしょう。
それぞれの教育機関などにおいて、カリキュラムなどを変えて行ってはいるのですが、いかんせん、教える方が手探り状態ですからね。
ちょっと時間がかかりそうです。

記事の中で理系と文系をすぐにわけてしまうことの弊害が語られていますが、専門を分けることにおいては利点と欠点があると思います。
もちろん記事にある通り、応用力を働かせる人間を育てるためには、理系・文系に縛られずに教養を身につけさせて、知識の幅を広げるというのは大事なことでしょう。
企業も色々な部署を経験させることで、ビジネスマンとしての幅を広げさせて、ゼネラリストを育てたいと考えているところが多いようですが、ただいかんせん、日本の企業の場合は、教育的見地によって計算されてそれらの人事が成されているというよりは、人間関係や穴が開いたところを埋めるみたいな自転車操業的な異動が多いようです。
こうした傾向が、少子高齢化によって拍車がかかっているんですよね。
こうなってくると、被雇用者としても、経験を積ませてもらっていると考えるよりは、色々とやらされているという感情しか抱けず、士気がどんどんと下がっていき、応用力を働かせるどころの話ではなくなっていくと思います。

逆にドイツのように若いときから専門に沿って進路を選択させ、徹底的に高い専門知識を持たせるというやり方もあります。
ゼネラリストが育ちにくいという弊害はありますが、専門性が高い人材が多く生まれるという利点と産業全体の効率性が上がるという利点があります。

ようするに、まあ、教育のやり方やアプローチの仕方によって、国の経済の形も変わって来るという話なんですよね。
日本の場合は、一応建前上はゼネラリストを育てているという感じになっていますが、自分で考えて応用力のある人間を育てているというよりは、企業にとって都合のいい、何でも屋さんを育てているという感じです。
情報化社会以前の世界では、そのやり方こそが効率的であったのですが、ただ現在はそうしたやり方では、イノベーションが生まれず、組織疲労が起きて、既得権益にしがみつく人が増える一方で格差が広がるという弊害が起きています。
今は、過渡期であることは間違いないのですが、過渡期が長ければ長いほど、それだけ国力が落ちていくことは自明です。

とにかく本当の意味で考えられる人材を広く育てていく一方で、企業の側もそうした人たちが活躍しやすい土壌を作るべく、現在既得権益を持つ人々も自分たちが逃げ切れればいいというのではなく、広い意味でみなが活躍していけるように労働環境を改善していく必要がありますね。