「発達障害」の見つけ方

ADHD、ASD、LD…「発達障害」と診断される人の典型的特徴

「発達障害」という言葉はここ数年で一般的に認知されてるようになってきました。ただ言葉の認知度に比べて、じゃあ具体的にどういう症状を指すのかと聞かれたときに、ぼんやりとした答えしか出来ない人がほとんどなのではないでしょうか?実際発達障害とひと言で言っても、色々な分類や現れ方があるわけで、明確に目で見て判断がすぐ出来るものでもないので難しいです。でも言葉だけが先行して、認識そのものがあいまいのままでは、言葉が単なるレッテル貼りになってしまい、問題をよりこじれさせてしまう可能性も出てきます。

上記の記事ではそんな発達障害の分類をわかりやすくまとめてくれていますが、大事なのはそれをキチンと判断し、当事者やその周りの人にいかに納得をさせた上で当事者やその周りの人が生活や教育、就労がしやすい環境を作っていけるかなんですよね。

ただここが難しい。現状信頼のおける診断が出来るのが精神科医ということになりますが、なかなかそこに行き着かないんですよね。理由として、本人や家族が認めたがらないということもありますが、精神科医まで行き着かせるしっかりとしたシステムがないということもあるでしょう。

幼児や小中学生の場合は、保育士や教師などが症状に気がつくことが多いと思いますが、彼ら彼女らも勝手に決めつけることが出来ず、また気がついたことを伝えることに義務はないので、わざわざ伝えないことも多いでしょうし、伝えたところで保護者が次のアクションをとらない限りはどうにもならないので難しいところはあると思います。

また高校生以上になってしまうと、一人の大人として扱われ始めるので、行動をよく見る大人がいなくなってしまい、問題が余計に見えにくくなってしまいます。途中でわかりやすい形で問題が現れればまだそこからでも対応出来るかもしれませんが、症状が見えにくい人は、変わった人とか生きづらそうな人として扱われてしまうだけで流されてしまうんですよね。

そしてそうした人の多くが就業を気に壁にぶつかってしまい、仕事が出来ない人として職場で問題視されるようになってしまいます。ここまでくると、周りの同僚も薄々発達障害か何かではないか?と感じていても、その人が認めない限りはどうにも出来ないし、そもそも助け舟を出す義務も何もありません。それどころか迷惑をかけられていると感じて攻撃してしまう人も多いでしょう。

こうして発達障害と判断されないばかりに大変な目にあっている人はたぶんたくさんいると思います。問題はどうすれば診断まで行き着けるかです。本人に自覚があり、自分で問題解決をしようという意欲がなければ、自分が何なのか、自分に何が起こっているのかがわからないままにただ苦しくなっていくだけなんですよね。

個人的には精神科医の診断につなげる、専門的な知識を持った人が教育現場にも会社にも必要なんじゃないかと思います。診断までは出来なくても、その症状に対して気づき次につなげるような資格を作り、そういった人をある程度配置する。医者ほど難易度が高くなくても、そうしたことに対する知識や対処できる力に特化した資格がいいですね。

そしてその資格を持った人が症状がある人を顕在化させ、また彼らが学業や就業出来るよう、何が問題なのか、周りはどうしてあげればいいのかを精神科医と連携してケアしていく形を作ることが出来れば、障害がある人が仕事や学業をキチンとやれるようになるキッカケになると思いますし、また周りの人もどう対応すればいいのか、何をするのがいけないのかがわかれば、きちんと対応し、それを個性だとい受け止めてその場の環境を改善することが出来ると思います。

どうしても現状だと、本人の努力か、親や教師が必死になるかのどちらかでしかなく、その他の周りの人はどうしても見て見ぬふりになってしまうんですよね。何となくわかっているのに、指摘すら出来ないというのは、それはそれで勿体ない話でもあるし、歯がゆい話でもあります。

もちろんだからといって、周りの意識がガラッと変わるわけでもなく、また本人が頑なに認めないということも多いでしょうが、まずはそうした体制そのものを整えていくことが大事だと思います。そうすれば、少しずつでも世の中の対応や考え方も自然と変わって来て、発達障害であることを認めることが何てことない時代もくるかもしれませんからね。

人間、どうしても自分や身近の身に降りかからなければわからないことは多いですが、発達障害は専門家によっては、国民の4割がそうした症状を持った人だと言っている人がいるくらいですからね。それだけ意外とポピュラーな話であり、いつ自分のそばでそうした話が持ち上がって来てもおかしくない話なんです。
だから、「わたしの知った話ではない」ではなく、まずはそうした人がたくさんいること、そして助けを求めている彼らの声に気が付き、代弁してくれる人がいるべきだということ、そしてそうした人たちを増やしていくということにもっと社会の目が向けられていくといいですね。