「人間昆虫記」著 手塚治虫
日本が誇る巨匠の中編漫画ですね。
有名な作品群に比べれば一般的にはあまり知られていない作品ですが、異色の劇画として知る人ぞ知る作品です。
物語は、十村十枝子を中心に動きます。
特徴的なのは、十枝子の類稀な能力です。
それは才能のある人間をコピーして自分のものに出来るというものです。
ただ鍛錬をしてその技術を習得するというより、自身の魅力を使ってありとあらゆる手を使って相手を籠絡し、手に入れていくというやり方です。
このやり方が徹底してえげつなく、相手をしに追いやろうが十枝子はまるで気にも止めていません。
そして十和子は、まるで昆虫が羽化していくように、人の才能を吸い取りつつも、女優、デザイナー、作家と次々と違うフィールドで活躍していきます。
この作品の凄いところは、十村十枝子という怪物を描きながらも、勧善懲悪としてそれを描くのではなく、十枝子を鏡として社会に当たり前のようにある汚らしさを描いていることです。
十枝子がなりたいままに様々に変化していく中で、彼女の周りに現れるのは、ほとんど欲にまみれた男性たちばかりです。
中には十枝子の危険性に気づいて警戒する人間もいますが、結局は彼女の妖艶な魅力に取り憑かれて大抵は破滅していきます。
いかに利用し、いかに利用されるか。
相手を出し抜くことに血道をあげるそうした人間たちの姿を次々に目にしていくことで、読者はやがて気がついていくんですよね。
十枝子だけがおかしいのではなく、彼女がどんどんと羽化できてしまうような環境を作っている社会の方もおかしいのだと。
実際、十枝子が、女優、デザイナー、作家と次々に転身しても、世間の多くはそれを疑うのではなく、もてはやしていました。
それに、気づいた人間も、欲望に負けたり、彼女を利用しようとするばかりで、結局もの本質を見ようとはしません。
こうなっていくると、もはや十枝子は、狂言回しにしかならなくなっていきます。
そしてそのことに、誰よりも一番気づいていたのが十枝子なんですよね。
十枝子は人を騙し、籠絡して手入れたいものは何でも手に入れ、目的も達成していきますが、結局何も満足することが出来ず、そもそも自分が一体何のために転身し続けているか、自分自身でも気づいていきます。
ただそこに気づいても、自分の生き方を変えないところが十枝子という女性の怖さであり、結局彼女も彼女の転身を許す社会もそのままというところに、この作品のメッセージがこめられているように思われます。
考えれば、考えるほど怖くなっていく作品ですね。
これを昭和40年代に書くとは、さすが、巨匠は社会の見え方が違います。