「イカとクジラ」

イカとクジラ
2005年公開/アメリカ
(ネタバレ注意!)
『家族』というものを考えさせられる作品でですね。普通、この手のテーマの場合、感動的なもの雰囲気を持ったものが多いのですが、この作品は、どこか皮肉っぽくて、違う見方をしていて、それ故に普段感じない変遷を経て、心に響いてくる感じがします。
この作品、両親がともに作家であり、16歳と12歳の二人の男の子がいる四人家族であるのですが、のっけからうまく行っていません。そしてこのうまくいっていなさ加減を絶妙な二元対立で表現しているのが、とてもうまいと思いました。
頭でっかちで高尚な純文学を書いている落ち目の作家である父親と、彼を尊敬する兄のウォルトが強い絆で結ばれ、一方で大衆文学を書き、売れっ子になっている母親と、彼女を慕う弟のフランクとが彼らに反発する形で結ばれている、という形をとっているのですが、些細なところでの微妙な反応の仕方が面白い。たとえば、父親が駐車使用としたときに見せる、兄と弟の反応の違いなどは、かなり笑ってしまいました。
そして映画が始まってすぐに、この家庭は、妻の浮気が原因で崩壊してしまうのですが、日替わりで父と母の家を行き来しなければならなくなるという、子供たちにとっては迷惑千万なシチュエーションが、この家庭を客観的な目で観客を見せることに成功させています。
わたしが個人的に、この映画で思い知らされたことは、家族も、しょせんは一人ひとりの人間の集合体だということです。つまりは、昨今の映画やドラマでは、家族愛という言葉で何でもひとくくりにして、感動を押し売りするようなものが多いのですが、この映画には、そんな気はさらさらない。あくまで、家族一人ひとりのズレを描き出し、現実をぶつけてくるのです。
つまり家族だからといって、人間としてのそりが合うわけではなく、むしろ合わないことが多い。そしてたいていの場合は、どっちかが引いたり、我慢したりして、うまくやっているのですが、この家族では、それぞれが勝手で、ほとんど最初の段階で、もう修復しようという気持ちすら投げ出してしまっています。自分の考えに執着し、短気で、子供と卓球をやってもキレてしまうぐらいに大人気ない父親に、自分の感情ばかりを優先し、息子たちにまで不倫癖をあけすけに話す母親。この未熟な両親には、その能力も資格もないといった具合で、観客を呆れさせ、そして二人の息子たちは、あらぬ痛々しい方向へと突き進んでしまうのです。
結局人間は、特に大人になればなるほど、自分を曲げることが出来なくなる。この映画は、そんな人間の持つ愚かしさを厳しいまでの視線で持って、滑稽に描き切っていると言えるのでしょう。映画の終盤に一度だけ後戻りが出来るチャンスが訪れるのですが、観客の期待をよそに、そんなに世の中うまく行くはずはないといった具合に、この二人の両親は、あっという間に事態を元の木阿弥に戻してぶち壊してしまうのです。

思春期にある二人の子供たちは、そんな中でも、必死に自分なりの自分のあり方への答えを見つけようとするのですが、両親はもちろん、友達も、社会も、誰もその道筋を示してはくれない。彼らにはもどかしさが募るばかりで、もはやどうしようもなく、破滅的になっていくしかない。唯一の救いは、兄ウォルトがセラピストに語った、イカとクジラの思い出です。それは、自分とは合わないと思い込んでいた母親との大事な思い出で、その話に父親は出てこない。そしてそれまで絶対的な存在であった父親の足元が見え、その思い出をどう受け入れるか、ウォルトが迷い始めたところで映画は終わります。
家族とは、いやこれは、友達関係にも恋愛関係にも、すべての人間関係に当てはまることですが、自分とは異質の人間を理解しようとどれだけ努力するかによって、その関係のあり方が違ってきてしまいます。そしてその理解を助けるのが、共通の思い出なのだと言えるのでしょう。最初、この「イカとクジラ」というタイトルが何を意味するのかと思ったが、このタイトルは、そんな人間関係にとってもっとも大事なものの象徴なんですね。
正直、大きな感動があるわけでもなく、淡々と現実を受け止めていく話であるのですが、劇がかった感じで愛だなんだと、それらしい言葉で流すよりもずっと考えさせられることの多い作品でした。