「おもいでぽろぽろ」
1988年/日本
小学校五年生のタエ子と大人になったタエ子が交差することで、27歳の大人になったタエ子が自分自身のこと、自分が何を大事に生きていくべきなのかを知る話です。
90年代の話で今観るとところどころに古さは感じます。
当時は5年生のタエ子の時代のみにノスタルジーを感じるところを、今観ると、もはや大人になったタエ子の時代にもノスタルジーを感じてしまいますからね。
夜行列車とかトシオがシャツの肩をまくっている姿とかね。
そして、物語全体を見ても、都会と田舎を比べるという、この時代の左派の人たちの特徴的な描き方をしています。
似ているところでいえば、倉本聰さんですね。
タエ子は、「北の国から」に出て来る雪子(竹下景子)そのまんまですもんね。
まあ、そういう意味で、若干、その当時のイデオロギー的なニュアンスが含まれるので、今の時代のわたしたちからすれば、説教臭く感じてしまうところは確かなのですが、そういった部分を差し引いたとしても、この物語はやはり秀逸な作品だと思います。
まず何がいいかというと、小学五年生のタエ子の悩みが等身大で、かつ普遍的なものとして描かれている点です。そしてそうした記憶が大人になったタエ子にも生きていて、それが大事な決断をする際の後押しになっているというところですね。
具体的に言うと、一番印象的に残るのがアベ君のエピソードです。
まあ、このエピソードのインパクトだけでこの映画の良さが伝わるのですが、アベ君とのやり取りの中で感じた後ろめたさが、大人のタエ子が田舎に来て、最後の最後で感じることとなる後ろめたさと重なり、それを考えることで自分のことを知るという感じさせる。
こうした過去の自分との対話によって、今の自分の気持ちを知るっていうやり方は、通常のわたしたちの思考に通じるところもあるので、心にダイレクトに響きますね。
しかも、それに対して見せるトシオさんの優しさも、ホロリとさせるものがあります。
最終的に、ヘンに田舎>都会みたいな話にせずに、あくまでタエ子自身がトシオさんという人間についてどう思ったのか、そうした部分でタエ子が結論を出したのは素晴らしいですね。
それにしても、この話はジェンダー論的にも進んでるところも目を見張ります。
生理についてのエピソードを、女性側からの意見として、三十年以上前に描いていること自体、すごいです。
またタエ子の父親についてもね、昔見た時は、昭和の父親って言うのはそういうもんくらいの感覚でしたけれど、今見てみると、この父親はかなり酷いです。
母親もそれに従っているだけですしね。
今の視点から見たら、タエ子がかなり不憫な少女時代を送っていたという気にさせられますね。