「『色のふしぎ』と不思議な社会」 著 川端裕人
色覚の話ですね。
先天色覚異常症というのは、昔からある病名で、昔は石原式という検査を学校でやった方もいると思います。
当事者でなければ、あまり覚えておらず、詳しくなることもない話ですが、ただこの本を読むと、色覚というのは正常/異常とくっきりと分けられるものではなく、色々な見え方がする人がなだらかにおり、境界線が極めてあいまいだということがわかります。
そもそも色というのは、普通、赤と青とかそういったものが存在しているとぼくらは思い込んでいますが、ぼくらが見えている色というのは光が反射しているだけで、実際に色というのは実は存在していないんですよね。
知らなかった人にとってはちょっと衝撃的な話なんですが、色と言うものはぼくらの網膜と脳で作り上げているものなんです。
それで、個々人の網膜と脳で作られているから、当然個人差があります。
確かにわかりやすくいわゆる色を感じ取ることが出来ない人も遺伝的にいますが、先天性色覚異常症と呼ばれる人は、多くの場合はちょっと見え方が違うだけってことも多いんですよね。
なので、この本では科学的な知識と共に、そもそも正常/異常と分けることに意味があるのか、色の見え方の違いは多様性として捉えるべきではないかと色々な論点から論じています。
わたしは近視ですが、確かに近視は異常とか言われないのに、色の見え方がちょっと違うだけで、負のラベリングを貼られ、しかもかつては大学や就職で門前払いをされることも多かったというから、それはちょっとおかしいですね。
基本的にナチスドイツ以来の優生学からの思想らしいんですが。
そこまで読み進めて、個人的に結構驚いたのが、優生学において、色覚異常は劣性と位置付けられて、就職や婚姻などで差別されても仕方がないみたいな話になっていたのですが、そこに色覚異常以外の劣性とされる病気の一覧があって、そこに遺伝性視神経萎縮症の文字が……っていうか、これ、わたしの近視の原因です。
今の今まで知らなかったのですが、わたしは世が世なら差別されていた人間だったんですね。
急に当事者になったところで、色覚異常の人が置かれている状態を読むと、やっぱりおかしいなと思います。
確かに見え方がノーマルの人とだいぶ違う人は、職業によってはそれに適応するのに時間がかかったりする場合があるかもしれませんが、最初から排除する必要はありませんよね。
デザイナーやカメラマンなどは、逆に見え方違うことで独自性が生まれるってこともありますしね。
実際に4型色覚の人で画家として活躍している人もたくさんいますしね。
それにしても、そもそも男子はX染色体を一本しか持っていないから視覚や色覚に関する遺伝は多くは男子に発症するという話は確かにそうだなと思いました。
女子だとX染色体の一つが異常でも、もう片方の親から受けづいだX染色体が正常なら見え方としては異常にならないそうです。
そう考えると、わたしには二人の娘がいますが、現状近視じゃなくても、わたしの視神経萎縮症の遺伝子を受け継いでいる可能性があり、彼女たちが息子を生めば、隔世遺伝で視神経萎縮症が発症する可能性があるということですが。
何か知らなくてもいいことを知ってしまった気がしますが、ちょっと実際にそうなってしまうと切ない話ですね。