女児置き去り死で思う、余裕のない働き方の害

「命を預かる仕事なのに」”女児置き去り死”で現役保育士のてぃ先生、保育業界の異常さ嘆く「欠席理由を心配できない余裕の無さが当たり前」

静岡県の園児のバス置き去り死事件の話ですが、確かにこれは酷いですね。
ついこの間、似たような事件があったばかりなのに、どうして「確認をする」という簡単なことが出来なかったんですかね。
この事件については、明らかに当該の園に責任があるわけで、この園を擁護するつもりは毛頭ありませんが、ただなぜ簡単なことを「確認する」ことが出来ないのか、そのことについては、実は社会全体で考えなくちゃいけないことのような気がします。

まあ、「確認を怠る」ことの一番は、スタッフの教育の問題であったり、各々の責任感のなさや能力のなさに由来する部分もあると思いますが、一番にあるというのは、やはりそれだけ保育士に余裕がないというところでしょうか。
余裕がなかったから、仕方がなかったという話ではありません。
ただ保育士に限らず、少子高齢化の影響で、あまりに社会全体に余裕がなくなっており、一人一人の仕事の量が多すぎて、みんながいっぱいいっぱいになってしまっているように思うんですよね。

そんなのはいいわけだ。
そう言われてしまうのは分かってます。
確かに、今回の事件のような例は命に関わることなので、「確認しませんでした」では済まされない問題だと思います。

でも、日本社会の場合、そもそもサービスが明らかに過多で、働いている人、特にエッセンシャルワーカーに負担が大きいんですよね。
絶対に必要なことをキッチリと「確認させる」ためには、精神論だけをふりかざすのではなく、まずちゃんと「確認できる」ような精神状態に働き手をしておくことが重要で、十分な働き手を確保できず、働き手に無理をさせる一方ならば、まずは行っているサービスが多すぎるのではないかと、検討して、削減していくことも大事だと思うんですよね。

ちゃんと説明をされるなら、サービスの受け手だって納得しますし、むしろ精神論で乗り切ろうという組織よりも、ずっと健全に見えるので、そういう組織の方が信頼できると思うんですよね。

少子高齢化に歯止めがかかっておらず、現状現場にいる人がどうにか踏ん張っている状態です。
これは保育士に限らず、多くの職場で、そうなっています。
うちらだって、頑張ってやってんだから、お前らもちゃんとやれじゃなくて、冷静に、無理なものは無理だと、サービスが少なくなってもそれを受け入れていく意識の変化がまずは必要になって来るのではないでしょうか。