「亜人」
著 桜井画門
すこぶる面白かったです。
まずそもそもの発想がいい。
何度死んでも生き返る亜人と呼ばれる人たちが中心に描かれているのですが、これはゲームのキャラクターを彷彿とさせますね。
劇中でパックマンが出てきますが、ようは何度死んでもお金を入れ続ければ何度も生き返るんです。
不死身か不死身に近いキャラクターはこれまでもいたとは思いますが、ただ不死身なのではなく、「何度でも生き返る」という点に焦点を当てたのは、かなり秀逸なアイデアだったと思います。
またその「何度でも生き返る」という特性をただ面白おかしく描くのではなく、それを社会と結びつけた上で描いている点にこの作品の格の高さを感じます。
「何度も生き返る」生き物を、それだけですごいという単純な話にするのではなく、それを見た普通の人間たちの恐怖をスタートとして描いているんですよね。
異物に対する社会の冷たい反応に焦点を当てているため、しばらく話の誰にも感情移入できないようなストーリー展開であっても、そのおぞましさに対して、どんどんと読み進めてしまうんです。
通常、物語を組み立てる際は、いかに主人公に感情移入させるか、という点に気を付けるのがセオリーなんですけれど、完全にこの作品はそれを破っているんですよね。
主人公はおろか、登場人物の誰にも感情移入をわざとさせないようにしたんだと思います。
そうすることで、感情に煽られるわけでもなく、ただ作品の中で起こっている状況の異常さだけが際立ってくるんですよね。
そして、それでいて物語が進むにつれて、あれだけ感情移入できなかった主人公やその他の多くの登場人物にいつのまにかしっかりと感情移入してしまうような話の流れにしているのですから、このあたりのストーリーテリングは見事と言うほかありません。
そして、もう一つ見事なのは「佐藤」の描き方です。
結果的に佐藤の暴走をどう止めるかと言う話になって行くんですが、この佐藤の描き方そのものは、冷静に考えると、とても単純なんです。
つまり、「絶対的な強さ」を持つ一方で、その動機に対しては大した考えがなく、「サイコパス的な愉快犯」であること。
敵をサイコパスとか、愉快犯にするのは、ハッキリ言って一番楽な方法なんです。
細かい性格付けがいらないわけですからね。
ただこのやり方で敵を作ってしまうと、物語そのものが安っぽくなってしまう可能性が高いんですよね。
この物語のすごいところは、この一見チープなやり方を堂々と使いながらも、それが全然安っぽく見えないところなんです。
これは最後まで読むとそれがハッキリとわかるんですが、「何度も死ぬ」ことが出来る亜人たちは、当たり前ですが「生きる」ことを大事にしません。
その最たる例が佐藤であり、彼は「死ぬ」ことを利用して、楽しみます。
ここに実は大きなテーマがあるんですよね。
佐藤の死生観そのものがアンチテーゼとなっており、それをこれでもかと見せつけられる上で、嫌悪感を抱き、逆に「生きる」ということを考えさせる仕組みになっているんです。
佐藤のキャラそのものを敢えて分かりやすい愉快犯(ていうか、テーマを語る上で、佐藤は愉快犯でなくてはいけなかった)として描くことで、物語のグランドデザインをさいしょのだんかいでしているんです。
このやり方はなかなか思いつかない。
かなり面白いアプローチの仕方であり、物語とテーマをリンクさせたかなりうまいやり方だと思いました。
そしてストーリーそのものも面白かったんですが、この漫画のもう一つすごい点は、その圧倒的な演出力です。
漫画でこれだけの演出力がある人は稀有です。
これだけとってもすごい才能ですね。
一つ一つの構図やカットに、ものすごい意味を込めて書いて丹念に描いているのがとても伝わってきます。
「Breach」の久保先生も演出が巧みな人だと思っていましたが、この作者の演出力も素晴らしいですね。
この人は、映画監督をやらせても一流の演出を出来る才能を持った人だと思います。間違いないなく。
いやあ、テーマ、ストーリー、キャラ、演出力とどれをとっても一流な作品でした。