「コーダ あいのうた」
2021/アメリカ、フランス、カナダ
アカデミー賞の作品賞を獲った作品ですが、納得の選出です。
まずテーマがいいです。
障害者ばかりの家族の中で、奮闘しなければいけない健常者に焦点が当てられているのですが、これ、ここに注目するのは非常に大事な話ですよね。
どうしても障害者の話になると、障害者そのものが主人公になりがちで、そうした物語ももちろん非常に意義深いのですが、当事者というのは本人だけでなく、周りも含めて当事者なんですよね。
現実世界では、そこを切り離して問題は決して語ることが出来ないはずなので、ここをメインに語るというのは非常に意義深い話だと思います。
さて、ここからはネタバレも含んでくると思うので、映画を見た人だけに読んでほしいのですが、この映画の中でポイントになっているのは、個人的には合唱クラブの顧問教師であるベルナルドだと思います。
なぜなら、彼と出会わず、彼が積極的に引き上げようとしなければ、主人公のルビーが救われることはないですし、そもそも彼女は自分の才能にすら気づかずに、ただ家族の世話だけをしているうちに、彼女自身が自分の道を歩めなくなってしまうことが明白だからです。
おそらくルビーのような子は、この世界にごまんといるでしょう。
そんな現実世界の彼らとルビーの違いは、ルビーの前にベルナルドが現れたからであり、彼がいたからこそ、この物語が映画として成り立っているのです。
そう考えると、ベルナルド先生がなんてすばらしい人なんだという話になると思いますが、そうです、この先生はちょっと抜けているところがあるけれど、かなり素晴らしい先生だと思います。
ていうか、むしろこういう人が通常身近にいないことに問題があるのであり、社会がこうした家族に当たり前のように手を差し伸べてあげられるような仕組みを作ることにこそ、意味があるということがこの映画を見るととてもよく伝わってきますね。
「家族」というのは、とてもいい言葉ですが、怖い言葉でもあります。
この言葉を一言唱えれば、「家族だからこそ、責任を背負わなくちゃいけない」という自己責任論が途端に生まれてしまいますからね。
政治家にとっても、これは便利な言葉です。
社会政策の多くを「家族」に委ねることが出来るのですから。
でも、誰もが好き好んで障害者になるのではありません。
障害者の家族もそうであり、彼らにも彼らの人生を歩む権利はあります。
それに、たとえ、今は自分自身や身の回りに障害者いなくても、いつ何時、自分が色々な意味で当事者になってしまうのかわからないのですからね。
そういう意味でも、こういう内容の映画が注目されることで、障害者に対してもそうですし、障害者の家族に対しても、考えが深まることはとてもいいことだと思います。
ベルナルド先生みたいな人が増えるキッカケにもなると思いますしね。
映画の内容として、最終的にルビーが自分の道を歩めたのは良かったと思います。
ただルビーが自分の道を歩めたのは、たまたま彼女には「歌」というわかりやすい才能があったからですし、それを認めてくれたベルナルド先生がいたからです。
逆に言えば、普通の子が普通の環境にいたのでは、彼・彼女らが這い上がることが極めて難しいということです。
障害者の家族として生まれてしまったというだけで。
そうしたことを逆説的に考えさせてくれるので、この映画はやはりいい映画だと思います。
ルビーが大学に行った後、障害者の家族がどうなったのか、そこを敢えて描かなかったのもいいと思います。
ヘンに都合よく奇跡めいたことが起これば、一気にリアリティがなくなりますし、「それで、彼らはどうするんだろう?」と思わせることで、観客も嫌でも考えさせられますからね。
最後に、個人的にルビーの母親役の演技がすこぶる上手いと思いました。
どうしてもお父さんの方に注目が集まりがちですけれど、このお母さん役の人、すごい上手いですよ。