「嘘と政治 ポスト信実とアーレントの思想」
著 百木 漠
ある意味現代社会においてもっと読まれるべき本の一冊かもしれません。
フィルターバブルによって社会的分断が行き着くところまで来てしまっている世界の中で、わたしたちがどう考え、何をするべきなのかに対して、ヒントを与えてくれる作品です。
著者は、今の社会において問題なのは、政治家が嘘をつくことについて意に介さなくなり、言葉の無力化を図っていることで、さらにはその真理のチェック機能を果たすべきメディアなどにおいても、忖度がまかり通りその役割を十分に果たしていないということにあると言います。
これはこの通りだと思います。
トランプ元大統領の発言しかり、安倍政権下での公文書改竄問題しかり、言葉を無力化することによってやりたい放題になっている政治家が世界中で現れているんですよね。
そうした政治家は決まって社会分断を進んで深化させ、またそうしたことで、政治に対して人々を失望させ、諦めさせて、そして民主主義を破壊して行きます。
この本では、そうやって民主主義が破壊されつつある状況の中で、人々が何を大事にすればいいのかを示しているのです。
まあ、詳しいことは本を読んで欲しいのですが、端的にいえば、いかに共通世界を築き、そしてその共通世界で、皆で対話をしていくか、がこの本で語られている要点です。
つまりは、ハンナ・アーレントの言うところの「仕事」と「活動」なんですが、これだけだとちょっと分かりにくいですね。
ようするに、共通世界とは、目に見える形でのみんなが集まる公共の場所です。
具体的には、学校や公園、図書館などはここに含まれません。
ネットの中の空間はどうなんだという話になりますが、ネットの場合あくまでそれぞれがフィルターバブルの中にいる可能性が高く、当初期待されていた通り、異なる意見の持ち主たちが対話がしやすくなっているとは言い難いです。
むしろ、同じような意見の持ち主たちだけが集まることで、その偏向性を増長させているといっても過言ではないでしょう。
ネットの空間が今やそのように偏向性を高める装置になっているからこそ、実際に目にし、触れることが出来る共通世界が必要だという話ですね。
そして、そうした共通世界は、真理の元に作られなければいけないということが一つの肝となっていきます。
わかりやすい例としてここで取り上げられているのが、公文書です。
官僚が作る公文書は、真理に基づいた共通世界でないと社会そのものがそもそも成り立たなくなります。
でも、この公文書が一部の権力のある政治家などの圧力によって書き替えられてしまうと、とたんにその公文書は形骸化し、社会そのものが嘘がまかり通る世界となってしまい、権力者のやりたい放題になってしまうわけですね。そうすると、やはり社会は分断されて、もはや民主主義が成り立たなくなってしまうわけです。
当たり前のように官僚などが忖度することなく、淡々と真理を守ること。公共の場を作ることやそれを維持すること。
そして、そうやって作られた共通世界を多様な目でチェックすること。
当たり前のようですが、そのことがいかに大事であるかということと、それがあって初めてわたしたちが対話をすることができるのだとこの本は教えてくれます。
もちろん、意見の違う相手と対話をし続けることは非常に大変です。
ソクラテスがやっていたことは、ある意味で正しいのですが、誰もがソクラテスになれるわけではないですからね。
ただ、まずはフィルターバブルに閉じこもる前に、お互いに意見が違っても顔を突き合わせることが出来るような環境を作り、それを維持するということが大事だということ。
それがないと、そもそも話にならないということなんですよね。
社会的分断がこのまま突き進めば、人間社会は間違いなく破滅していくでしょう。
そうなる前に、まずはいかに対話をする環境と姿勢を作るか。
この本を読んで、とても大事なことを知った気がします。