「プロジェクト・ファーザーフット」 著 ジョルジャ・リープ

「プロジェクト・ファーザーフット」
著 ジョルジャ・リープ

こういう話を読むとアメリカの底力を感じるというか、こういう面では日本よりもずっと進んでいるんだなというのを強く感じます。
アメリカで最も凶悪な町を舞台にしたドキュメンタリーですが、これはギャングの活動を追ったものではなく、ギャングになり、刑務所に送られて人生がメチャクチャになった男たちが自分の子どもに対してどう向き合えばいいのか、つまりどうしたら父親になることが出来るのかというのを試行錯誤の上に見つけていく話です。

「プロジェクト・ファーザーフット」という集まりを通して父親たちが変わっていく様を著者であるソーシャルケースワーカーが追っていくのですが、その内容の一つ一つが生々しく、現実の厳しさを伝えています。
それは平和な地域で暮らす人には想像すらつかないような、貧困と差別と暴力と麻薬が渦巻く世界で、そうした環境下で育った人間がどうならざるを得ないのかというリアルです。

問題の発端は、やはり差別であり、貧困です。
多くの黒人やラテン系の人々が差別と貧困故に暴力や麻薬に手を出し、あげく刑務所に入ってしまいます。
しかも白人に比べて、黒人やラテン系の人間の方が有罪になりやすく、量刑も重くなりがちだという統計上の事実があり、地域の若者の多くがまず刑務所に何年もの間入れられてしまうというのが当たり前になりすぎてしまっています。

そして、このことがさらに負の連鎖を招いています。学校をまともに行かずに前科がついてしまう若者は、ほとんど就職することが出来ず、州政府が用意した職業訓練を受けたとしても職を得ることが出来ないのが現実です。
そうなると、生きて行かなくちゃいけないので彼らはまた犯罪に走ります。
すると、また捕まり刑務所に入れられてしまうというループを繰り返してしまうのです。

さらに重要な点は、彼らの多くが若いうちに子どもを作ってしまうという点です。
しかし彼らのほとんどは刑務所に長く入れられてしまうので、子育てには参加せず、気が付いたら子どもが大きくなってしまっているのです。
しかも話を訊いてみると、その多くが自分自身もそのような子どもであったりするわけで……つまり世代を重ねてそのループを繰り返してしまっているんですよね。
父親からの愛を知らないから、自分が親になったとして、父親としてどうやって振る舞っていいのか分からない人ばかりなのです。
その上で、家族を大事にしようと働こうと思っても、働き口すら見つからない。

何だか、酷い話ですね。
こうした流れを聞いてみると、彼らが怠け者だから犯罪を犯しているのではなく、社会システムそのものが彼らを犯罪に追いやっているというのがよくわかります。
そして、それが罪もない子どもに伝播していくというのは、ホントにありえない話です。

この本では、そうした父親たちが、父親になるためにどうしたらいいのかということを軸に様々なことを話し合っていきます。
無論、彼らの主張の中には首を傾げたくなるようなものも多いです。
ジェンダー観は、都合のいいように無茶苦茶矛盾したことを言いますし、性的マイノリティなどについては、頑なに拒否をしている人も多いです。
ただそうした感覚も、そもそもは環境がそうさせているところは多分にあり、彼らはその苛酷な生育環境や刑務所などでの出来事によってPTSDなどを患いながらも、藁をもすがる思いで語り合っていきます。
それはひとえに、もう二度と過ちを犯したくないからであり、子どもたちにとっていい父親になりたい。
自分が父親にちゃんとなれることで、子どもたちに自分たちと同じ過ちを犯してほしくないと切に願っているからです。

政治家や専門家の言葉よりも、彼らの言葉の方が現実をしっかりと描いているでしょう。
他愛のない彼らの言葉にこそ、哲学があったりするんですよね。
そして、そんな彼らが変わっていく様子は、とても気持ちを動かされます。
ぼくたちも彼らのような立場の人たちの言葉をもっと聞くべきだと思いました。

たとえ刑務所に行かなくても、家父長制にあぐらをかいていたり、仕事の忙しさを理由に、しっかりと父親としての役割を果たしてない父親は、日本にもたくさんいます。
家父長制の名のもとに威張るのが父親の役割ではないです。
子どもに愛情を与えることが父親の役割なんです。
愛情を与えるからこそ、子どもは愛情を知り、それを誰かに与えるようになるんです。
何だか、遠いようで、とても近い、普遍的な話を読ませてもらったと思いました。