「笛吹川」 著 深沢七郎

「笛吹川」 
著 深沢七郎

「楢山節考」を書いた深沢七郎さんの作品です。
なので結構古い作品なのですが、わたしがなぜこの本を読んだのかというと、わたしの父方の先祖と思しき人間がこの小説に出て来るからです。
その名は土屋惣藏。
史実では武田二十四将の一人である土屋昌続の弟であり、信玄が死に、長篠の戦で武田が敗れた後も武田に付き従った武将ということになっています。
この人が有名なのは、武田家最後の家臣といわれているから。
武田家最後の頭領である武田勝頼に付き従い、勝頼に自害をさせる時間稼ぐために自分の殿に立ち、一人しか立てないような道幅の狭い場所で、片手で蔓を掴みながら千人もの織田の軍勢をなぎ倒したという逸話が残っています。
「片手千人斬りの惣藏」と後世で呼ばれ、その場所には今もその歴史を伝える席が立っています。
その後惣藏の遺児は寺に隠され、江戸になってから家康に茨城の土浦の大名として取り立てられます。
土浦の土屋家はおそらく今も続いていると思われますが、ウチはたぶん江戸末期のどこかで枝分かれし、千葉の野田に行ってから東京に来たようです。
ただ肝心の家系図が戦争で焼けてしまったために、どこまで本当の話なのかはわからないのですが、「土屋家の系図」という本には確かにそう書いてありました。

なので、一応先祖だと思しき土屋惣藏がどんな立派な人間だったんだろう。彼を何を考え、千人を斬り殺した以外に何をしたのかが知りたくて、この本を読んだのだのですが、英雄だと勝手に考えていた先祖象粉々に崩れました。

まず誤解を与える前に解説すると、この作品はあくまで小説であり、史実をそのまま描いた作品ではありません。
なので、土屋惣藏というキャラと片手一千人斬りのエピソードは使っていますが、ここで出てくる土屋惣藏と史実における土屋惣藏のバックグラウンドはまったく違います。
まあ、深沢さんが別に土屋惣藏の英雄譚を描きたかったわけではなく、彼が描きたかったのはもっと民俗学的なものであり、市井の人から見た権力と集団意識の暴走であるので、しょうがないといえばしょうがないでしょう。ようするに何世代にも渡って生まれては殺されるその無慈悲な反復を、被支配者である農民の側から描くことに重点を置きながら、その一家に土屋惣藏のエピソードと加えることで小説を一つにまとめたという話ですね。

それにしても、深沢七郎さんの語り口というか、台詞やキャラの作り込み方は独特ですごいです。解説で町田康さんも言っていますが、台詞に計算が見えず、本当に登場人物たちが勝手に喋っているような感じなんですよね。それでいて、テーマがしっかりしているからちゃんと一冊の本としてまとまっている。これって、簡単なようでとても難しいことです。まさに天才にしか出来ない所業だと思います。確かに、登場人物の行動や台詞に計算がない分、本としては少し読みづらい。でもその反面で何か異様なリアリティや臨場感があり、まるで読んでいる人たちがこの土俗的な暮らしを経験しているような気にさせられるんですよね。エンターテイメントばかりを読んでいる人は正直ちょっと戸惑うかもしれませんが、これこそがある意味でこれぞ文学という作品だと思います。

そしてすごいのがこの人のテーマのブレなさ。読み終わった後に、一般的には英雄譚に見える土屋惣藏の片手一千人斬りのエピソードがまったく違うものに見えて来るから本当に不思議です。でも、世の中に残る英雄譚的エピソードの大半も実はこの小説で描かれているように、周りの人からしてみれば不条理極まりない話ばかりなのかもしれませんね。

偶然にも母方のお墓が甲府にあるので、子どもの頃はよく甲府に行っていました。子どもが生まれてからは全然行っていませんが、久しぶりにまた行ってみたいなと思いました。小説に出てきた場所や片手一千人斬りが実際に行われた場所をいつか巡ってみたいですね。