「栗本鋤雲」
著 小野寺龍太
幕末期に江戸幕府の幕臣として活躍した人ですね。
この人とかが、歴史好き、特に幕末好きという人にもなかなか名前を覚えてもらえないあたりに、いかに勝てば官軍と言うか勝った側の人物ばかりが歴史に名を残しているというのがよく分かります。
簡単に説明すると、この人、元々は奥医師なんですけれど、函館に異動になり、その先で史籍となって北海道開拓に尽力した人です。
樺太や今は北方領土としてロシアに奪われてしまっている国後島や択捉島などにも視察に行き、原住民の人々とも交流しています。
鋤雲の人生で面白いのは、ここで終わらずに、ここでフランス公使の通訳人となるメルメ・カションと知り合ったことで外交官として活躍していく点にあるんですよね。
ときは薩長と幕府との対立が目に見えてきたときです。
英国に近づく薩長に対抗するために、幕府としてはフランスとこれまで以上に接近する必要があり、そこで鋤雲が目付として、さらにはフランス大使となって活躍していくわけです。
つまり幕府とフランスとの間を取り持っていくことになるのですが、鋤雲の働きが幕末の歴史の中で一つの影響を与えていたことがこの本を読むとよくわかります。
結果的に、鋤雲がフランス滞在中に幕府は瓦解し、薩長による明治維新が起こるのですが、鋤雲という存在を見てからも、幕府が一方的に古い因習にとらわれていて、薩長が開明的だったと二元論で語るのは大いに間違いなんですよね。
すでにフランスと様々な事業をしていた幕府は、維新前に開明的な政策をすでにしていました。横浜造船所を作ったことなどはそのいい例です。
維新後、鋤雲は潔く政治から遠ざかります。
あくまで幕府に仕えて奔走していた自分は、新政府には仕えないとしたのです。
その後は、郵便報知新聞でジャーナリストとして生きます。
ただそこでも政治的な話よりも、生活一般の話や物産などの話が多かったようです。
とかく大きなことを語りがちな当時の社会の中で、人の営みの細部に目を向けることの大事さを語り続けているのですが、文章もそうですが、この人自身がとても味わい深いんですよね。
その証拠に鋤雲を慕う人々は明治期においてもいます。
のちに憲政の神と謳われ、首相にもなる犬養毅(5.15事件で暗殺されたことでも有名)や文豪の島崎藤村などは最も影響を与えた人の一人として鋤雲の名を挙げていますね。