「妾と愛人のフェミニズム 近・現代の一夫一婦の裏面史」
著 石島亜由美
妾や愛人の社会的イメージが明治、大正、昭和、平成と時代が変わる中でどう変遷していったのかを、新聞、雑誌、文学作品などを通して解き明かしていく作品です。
まず驚いたのは、明治の初期の話。
このとき、本の数年の間ですが、妾が法的に認められ、妻と同等の立ち位置にあった時期があったんですね。
皇室が男系継承であることへの整合性であったり、そもそも武家社会も男子の継承者がいないと家が取り潰されてしまうという理由から、側室(妾)に子どもを産ませることが当然といえば当然の世界だったんですね。
この頃の妾は、いわゆる主従関係に近く、女性からしてみれば有無を言わさず、家によって決められたり、諸事情により仕方なく売られるような形で妾とならざる得なかった人が多かったというのは、よく知られた話ですね。
明治から大正にかけて「愛人」という言葉が出てくるのですが、興味深いのがこの「愛人」と言う言葉が現代わたしたちがイメージしているものとはだいぶ違うということ。
この頃は、結婚は家によって決められることが多く、男女問わずに恋愛を貫く相手のことを愛人と呼んでいたそうです。
そしてこの「愛人」という言葉のイメージが昭和、平成と時代を経て行くにしたがって変わっていき、そのそれがフェミニズムの歴史と重なっているという話は非常になるほどと思いました。
つまり、「妾」が跡取りを産む存在として扱われたあと、「妻」が家を守る対象となる一方で、「妾」は恋愛の対象となって「愛人」となっていきます。ただ戦後になって、恋愛が大衆化されると、恋愛の対象も「妻」となり、いわゆるロマンティック・ラブ・イデオロギーが全開となって、一夫一婦制が当たり前となっていき、「愛人」はその性的存在のみが大きく語られていくようになっていったというわけです。
確かにこれこそが、今現在、わたしたちが「愛人」という言葉に持つイメージですね。
ようするに「愛人」は夫婦の外側からその性を補完する存在として位置づけられ、団塊世代を中心にロマンティック・ラブ・イデオロギーが当たり前のものとして叫ばれる中で日陰者とされていってしまったのですね。
そして、あたかも女性だけの問題のようにその言葉のイメージが社会の変化に合わせて変わってきていますが、本当に問題なのは、そもそもダブルスタンダードを持って女性の存在価値を決めている男性側にあることであり、多くの場合においてそのことが巧みに隠されていること。
令和になって、確かに少しずつまた社会は変化していますが、そのあたりはまだまだ根本的には変わっていないんだなとこの本を読んで改めて思いました。