「血を分けた子ども」
著 オクティヴィア・E・バトラー
初の黒人女性のSF作家といわれるオクティビア・E・バトラーの短編集です。
表題作を含め9編の短編と二つのエッセイが収録されています。
SFでありながらも、SFという特性を上手く使った社会性が基調としてあり、どれも思わず食い入るように読んでしまう作品でした。
これは作者が黒人で女性であるという二重のマイノリティを持つ出自にあるからであり、そのことが作家性として非常に作品に生きているといえると思います。
バトラーのすごいところは、強い社会性がその作品の根底を支えているにもかかわらず、それでいて、落ち着けがましくも、教育的でもないという印象を与えることです。
主人公は常に黒人の女性なのですが、その人自身が特別であるわけでもなく、主人公は常に黒人の女性として与えられた環境の中で懸命に生きているだけなんですよね。
そこには差別反対等のわかりやすい問題提起がハッキリと描かれているわけでもなく、読んだ上で、「ああ、これはジェンダーや人種の問題であったのだ」と心の片隅に残るくらいです。
でも、小説においてこの心の片隅に残るくらいにテーマを入れ込むというのが非常に大事なんですよね。
大きな声で不満や怒りを表明してしまえば、それは小説ではなく、批評になってしまいます。
そうなると、いくらそれが正論であっても、読者としてはちょっと疲れてしまうでしょう。
むしろ、読者にとって悪影響を与えてしまうこともあるかもしれません。
それよりも非常に斬新なアイデアとよく練られたストーリーの中で、テーマ性をかすかに埋め込み、それをどう解釈するのかを読者に考えさせる方が、テーマを語る上でもより効果的であり、またそれこそが優れた小説の条件であるともいえます。
二十世紀後半の時点で、SFというジャンルでジェンダーや人種をテーマにしてこれをさらりとやってのけているバトラーは作家性は本当にすごいと思います。
後に「第五の季節」三部作でSF界で注目されることになる、バトラーと同じく黒人女性のSF作家N.K.ジェミシンがバトラーに非常に影響を与えられたというのは非常によく分かる話です。
本作にはヒューゴー賞、ローカス賞、ネビュラ賞を総なめにした「血を分けた子ども」のほか、
ヒューゴー賞を獲得した「話す音」それに「夕方と、朝と、夜と」「近親者」「交差点」「前向きな強迫観念」「書くという激情」「恩赦」「マーサ紀」が収録されています。
「血を分けた子ども」のインパクトはさすがに強いです。社会性だけではなく、SF作品としても発想が面白いですね。「話す音」も荒廃した世界というのは、ありがちな設定であるものの、そこに作者独自の視点を入れていることで、作者の抱えるテーマ性が垣間見られる独特の作品になっていると思います。
個人的には「夕方と、朝と、夜と」や「恩赦」なども印象に残りました。
「夕方と、朝と、夜と」は、病気をテーマにしているのですが、こういう切り取り方をすれば派手な演出やアクションなどなくても、十分にSF小説になるんだと勉強になりましたね。
テーマ性をSFというジャンルでどう描けばいいのか、という点を示す意味でも非常に優れた短編集なので、SFファンのみならず、SF小説の書き手にも広く読んでもらいたい本です。
本当にこういう過去の優れた作品を現代に蘇らせてもらえるのは非常にありがたいですね。