小山田圭吾氏辞任で新たに見える東京オリンピックの意義

いやあ、それにしてもこれだけ問題が続出するイベントも珍しいですね。
多角的な視点で人選をせずに、密室で力のある人たちだけで、利害と交友関係の中から選ぶからこういうことになるんですね。

それにしても、オリンピック。コロナが始まる前から、スタジアムの費用のすったもんだやロゴの盗用疑惑など出てたし、コロナで延期になったあとも、森善朗氏の失言や、開会式演出家の女性芸人侮蔑発言による辞任、そして最後の最後で小山田問題と…一体何なんでしょうかね…ここまでくるとコロナとか関係なくて、そもそも日本の社会構造が抱えていた問題が明らかになったと考えた方がいいかもしれません。

考えてみてください。
五輪がらみで問題起こしてるのって、みんなバブル期より上世代のおじさんたちばかりで、それまで権力の上に乗っかってあぐらをかいていた人たちなんですよね。
五輪開催というフィルターを通すことで、そんな彼らの社会通念がもはや世界の常識とはかけ離れており、時代遅れだということが暴露されてしまった。
そりゃそうですよね。氷河期世代を作り、女性や彼らより下の世代にはチャンスを与えず、自分らだけが上手くやれればいいという状況の中で何十年も生きていれば、人間、社会感覚はズレて保守的になっていくものです。
そのことに気づかない、気づかせない、あるいは気づいていても忠言出来ない日本社会のいまのあり方そのものが闇なんですが、国威をアピールするはずのオリンピックが結果的にその闇の深さをこれでもかというほど指し示してしまったというわけです。

オリンピックは無理にでもやるでしょうが、こうなった以上、オリンピックに対して当初目論んでいた目算はすべて水の泡です。
経済効果は期待出来ず、むしろマイナス。コロナはさらに蔓延し、日本の国威高揚どころか、社会意識の古さで恥を晒し、しかもオリンピックを観に行くことすらかなわない。
ここまで一体何のためにやるのかわからないオリンピックを珍しいですが、ここまでくると逆に日本にとってオリンピックをやる最大の意義が見えてきます。
それは、オリンピックを運営する上でのこれまでのゴタゴタやこれから起こりうるであろうグダグタを通して、今の日本社会において一体何が、ていうかどういう人たちが足かせになっているのかを見極める最高のきっかけになるということです。

もう今の時点で、オリンピックから退場していった面々を見る限りでも、かなり明らかですよね。
うまく人を出し抜き、長年権力の側について、昭和のやり方を引きずっている人たち。
そうした人たちに群がって彼らを抱き込み、ビックイベントに関わることで上手に中抜きをして儲ける大きな企業。
一部の人にとっては美味しい話でも、大多数のそうじゃない人にとっては、実は腹の足しにもなっていない、むしろ税金を使われ、色々な制約を受けるばかりだということに、国民の多くが薄らと気づき始めています。

金メダルをいくつか獲れば、国民はすぐに忘れる。
彼らはそう思ってます。
でも、舐められちゃいけません。
金メダルをいくつ獲ろうと、それはそれで、わたしたちは、このオリンピックにおいて、ダメ出しをし続けて、バブル期以降日本を30年もの間停滞させ続けてきた者の正体を見定めるべきです。

つまりは、これまで偉そうな顔をしながら実は社会停滞を招いてきた膿たちを出し切る。
そうしないと、本当の意味で日本はまったく変わりませんからね。数年後、東京オリンピックこそが、変化の分水嶺だったといわれるようにオリンピックの運営を通して、日本型システムの脆弱性をしっかりと観ていきたいですね。
メダルだけじゃなく、オリンピックのそうした側面に着目するというのは、実はとても健全なことなのかもしれません。