衆院選の前に、今、なぜ子育て支援が必要なのかを考えよう

「習い事はコロナ落ち着いてから」 収入減、子育て世代を直撃

なぜ子育て支援をしなくちゃいけないのかをコロナの影響によって現状のレポートをまとめた記事ですが、正直違和感を覚えたのは、冒頭にピアノの習い事をさせられないことを嘆く親に対して、攻撃的なヤフコメが多かったことです。

そもそもこのレポートにおいて冒頭のエピソードが挿入されたのは、それまで当たり前に出来ていたことが出来なくなってしまったという現状を伝えるためです。それなのに、大抵のコメントは記事の全体の意味を汲み取らずに、ただ自分の感情にそぐわないの一点で自己責任論に溢れており、自分の境遇や自分たちの時代と比べて、一言で言えば甘ったれるなと押さえつけています。

確かにわたしも氷河期世代なので、今の若い人の方が恵まれているなと思い、羨ましく思うときはあります。受験にしても就職にしてもハードルが下がっていますし、かつてあった理不尽なパワハラも今やダメだという風潮が生まれて、確実に減りつつあります。でも、それに対して、オレたちは大変だったんだから、お前たちも同じ大変さを味えと言うのはおかしいです。

ハッキリ言ってそれは、中学や高校の部活で、上級生が理不尽に偉く、自分が上級生になったら、それまでの鬱憤を晴らすかのように下級生を虐めるという、日本の体育会系の悪しき伝統レベルに酷い話だと思うんですよね。

社会というのは、少しずつでも良くしていなくかなきゃいけないものだと思います。それは今を生きるわたしたちの責務です。だから本来は自分たちよりも下の世代の方がより生きやすくなっているというのなら、それは喜ぶべき話だと思うし、そういう社会を作れた自分たちを誇るべきだと思うんです。

でも、あくまで社会を考えずに、自分と比べてどうだという考えに固執してしまう人があまりに多い。
そうした声が大きくなってしまえば、社会は一向によくならないどころか、政治はポピュリズムに陥ってしまい、下手をすれば全体主義に発展しかねないにもかかわらず……。

今回の衆院選ではほとんどの政党がコロナで困窮した人への経済的な支援を公約に掲げています。そこで言及される対象は、子どもや困窮している女性です。普通に考えれば、困窮しているこれらの人に支援という名の分配を行うことは、国民の生活を健全なものとする国家としては当たり前の判断です。なぜなら格差を分配によって調整しなければ、その国の内需が先細ることになり、ゆくゆくは国家そのものが存亡の危機に立たされるからです。
でも、多くの人は主張します。コロナによって困窮しているのはみんなそう。だから、子どもや女性に支援をするのなら、国民全員にするべきだと。

国庫に余裕があればそうすべきだと思います。でも残念ながら日本の国家財政は現在火の車です。大盤振る舞いを国民全部にしても、その借金は次世代が払うことになるのです。

ならばやれる限りのことを、必要としているところに送るしかありません。その範囲をどう決めるかは、政党や政治家によって異なるとは思いますが、主にそこに子どもや困窮している女性というキーワードが出てくるのは当然でしょう。

まず子どもについては、少子高齢化によって国そのものが縮小を余儀されている中で、子どもを産みやすく、かつ育ててやすい社会にすることは、もはや待ったなしの問題です。
「移民入れたくない」「子どもへの支援も自己責任で」「でも少子化は困るから子どもはもっと産め」というのは、都合が良すぎる話です。子どもへの支援が話題出ると、独身が損をしているから独身にも支援をしろと言い出す人が必ずいますが、そうした発言も自分自身の目先のことしか見ていないとしか言わざるを得ません。なぜならば独身の人も歳を取れば年金をもらう予定であるはずで、年金というものは、下の世代がちゃんと存在し、彼らが生産的に働くことが出来て、はじめて安定した支払いが出来る制度だからです。他人の子であっても、子育てに必要な支援をすることは大事な投資であり、巡り巡って独身の人にも年金という形で恩恵が得られる話なのです。

また困窮している女性に対して支援の焦点を絞るのも当然の話です。そもそも平均賃金において男女差がハッキリとあり、しかも非正規雇用は女性の方が男性よりも遥かに多いです。通常労働力を安く買い叩きながら、いざ支援の話になったときは、そんなことは関係なく全部一律というのはさすがにどうかと思います。

もちろん子どもや女性だけに対して支援をしろと言っているのではありません。当然成人男性でも困窮している場合は支援をされるべきだと思うし、困窮をしていない女性や高所得者の子供など支援を必要としていない人に支援をする必要はないと思います。ただこういう話になったときに、「子ども」や「女性」といったキーワードに過敏に反応して、「子ども」や「女性」を叩き、その上で自分たちに利益誘導をするというのは大きな間違いです。

日本という国の規模そのものが小さくなっていく中で、分配の規模ややり方を見極めるのは確かに難しいです。
割りを食っていると憤らざるを得ない気持ちもわからないではないです。でも憤る気持ちがあるのなら、それは子どもや困窮している女性など自分よりも弱い立場にいる人に対してぶつけるのではなく、そうした状況を作り出してきた上の世代の力がある、もしくはあった人々にぶつけるべきです。

個人的には、子育て支援に関しては、大学や専門学校を含めて教育の完全無償化をするぐらいじゃないとダメだと思いますし、現状で貧困の中にいる子どもに対しては、そこから抜け出すための何らかの支援が必要だと思っています。

日本人の生産性が低いと言われてからもう何年も経っています。本気で生産性を高めたいのなら、まず教育を形だけ平等にするのではなく、こと教育においては格差の世襲を簡単に許さないほどの機会均等の実現がは必要なのではないでしょうか。