日本式人事部のあり方から、日本の生産性の低下を考える

「日本の人事部」が世界と比べて「圧倒的にレベルが低い」ワケ

かねてから言われている日本の生産性の悪さを「人事部」に焦点を当てて語った記事ですが、何かこの話は分かる部分はありますね。
ようするに日本の人事部は、労務管理を主たる業務としており、教育的見地が抜けている一方で、欧米の会社では人事部はいかに社員を教育していくのかという点に沿って、基本的に人材配置や労務管理を考えるという話です。

日本の場合、一番問題なのは、組織としての人材教育があまり考えられていない点で、あったとしても軍国主義のような滅私奉公の刷り込みに走るという悪癖があるところです。
つまり、社員を自分の頭で考えさせて行動をさせるような教育が出来ていないんですね。
まあ、これはそもそもは出来ていないというよりは、あえてやっていないというところが大きいかもしれません。
日本の多くの会社は年功序列の縦社会が基本であり、軍隊方式のトップダウンによって効率を上げるという幻想を引きずっていますからね。
しかも人事そのものも、能力や経験というよりも、上に立つ人間による好き嫌いによるところが大きいから困ったものです。
さらに政治の世界に目を移せば、人事権を武器に自分のやりたいようにやる政治家までもがいるので、ちょっと酷いです。

あくまで人事というのは、適材適所を考える場所であり、もっと言えば、それぞれ人材の能力を把握した上で、その人材がより伸びるためには、どうすればいいのかを考える場所であるべきなんですよね。
でも、現状人事は社内の都合やパワーバランスで動いてしまい、人事部にはそもそもそれだけの権限や経験と方法論もなく、ただの調整機関になってしまっていることが残念ながら多い。
これは人事部に限らず、日本の会社の多くが社員に対する教育ということにあまり熱心ではなく、その人がどれだけ出来るかよりも、いかに会社や上司に対して忠実で、文句も言わず、ソツなく失敗のないように普段を過ごしているか、そして何年その会社にいるかによって、評価がなされているところに問題があるわけなんですよね。

ようするに客観的な視点で正当な評価がなされているとは言い難い。教育と評価の2点は、その中心を人事部が担うかどうかはまずは置いておいたとしても、今後日本企業が生産性を考える上で重要なポイントになってくると思います。

もちろん、上記の記事にあるように、評価=報酬の高さと考える人も出てくるでしょう。
確かに個人的には、人材を外資系に引き抜かれることを恐れた結果、何でもかんでも欧米のやり方を真似て役員報酬など曖昧な評価でもって圧倒的な格差を作ることは反対です。
ただ実際にその仕事をしたことに対する評価というのは、手当等でキチンとなされるべきで、逆に歳を取り、組織の上にいるというだけで、働かない人に対しては、報酬を下げるべきだとは思います。
それも上司の気分や好き嫌いで決めるのではなく、客観的なエビデンスを示すことが大事です。

とにかく何に対しても、こと人材に関することは、会社側がしっかりとその人材に対して何を期待しどうなって欲しいのかというビジョンを示すことが肝要で、さらに何が出来ればどのくらい評価されるのかということ、逆に何が不足しているから評価されない、もしくは報酬が下がるのかということをいつ何時も説明出来る必要があると思います。
えてして日本の会社は目に見える量的な数値だけしか人を評価しないことが多いですが、それでは本当の意味で人を評価しているとは言えません。

いかに質的にその人材がその会社にとって貢献しているのか。そこの部分をしっかりとフェアに評価出来る会社に、今後優秀な人は集まると思いますし、結果的にそうした会社が厳しいグローバリゼーションの中で生き残っていくのかなと思います。

どうしても会社の変革というと、営業成績とか生産拠点とかそうしたものに目が行きがちなんですけれどもね。まずは、人事における人の評価と人材育成という基本の部分に立ち返って変えていくことだけでも、組織の雰囲気はだいぶ変わると思いますし、生産性も上がっていくのではないでしょうか。