究極の多様性問題

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-901756.html

ある意味、究極の多様性に関する問題ですね。
重度の知的障害がある子が定員割れしている高校を受験したのですが、不合格になったそうです。
で、その件に関して、その子の両親が重度の知的障害があるのだからテストで点数を取れないのは当たり前であり、学校側に配慮が足りないと言っているそうです。

うーん、難しい問題ですね。一般的な感覚からしてみれば、いくら何でもそれは無茶な話ではないかという気がします。
そもそもそれでは、テストの意味そのものが問われてしまいますし、何のために養護学校があるのかという話にもなってしまいますからね。

しかし、昨今言われている多様性という意味でこの問題をとらえれば、理想を言えば、どんな人にも機会は均等に与えられるべきであり、この親御さんが納得できるような選抜方法があるに越したことはないと思います。

ただ先進国である日本という国であっても、普通の高校に重度の知的障碍者を受け入れるだけの設備も人員も資金もないというのが現実なんですよね。
もちろんなければ、それを作れという話ではありますし、出来る限りではそうした方がいいとは思いますが、国や県としては抱える問題は山積みであり、ようは無いパイを色々なところで奪い合っている状態の中で、何に優先順位をつけるのが、何をすることで多くの人が幸せになれるのか、ということを考えざるをえないというのが本音なのでしょう。

わたしも子どもの親としては、もしも自分の子どもがと考えてしまえば、出来れば普通学級に、と思いたくなる気持ちもわからなくはないのですが、一方で障害を認めることで得られるその子の幸福というものもありますし……複雑な問題ですね。

でも、多様性の問題を突き詰めて考えていくと、必ずやこういう問題にぶち当たるとは思うので、「そんなの無理に決まってんじゃん」と一蹴するのではなく、わたしはわたしたちで、せめてそのような形の教育を求める人がいるということは認めて行かなければなりませんね。

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