https://dot.asahi.com/dot/2019042600016.html?page=1
ちょっと前にネットで少し話題になっていた人生相談の記事ですね。演出家の鴻上尚史さんが66歳の男性の相談に答えているのですけれども、その相談内容というのは、これまで長男として育ち、それなりにいい教育を受け、それなりにいい会社で働いてきた相談者が、定年退職後に誰からも相手にされずに寂しい思いをされているというもの。常に上から目線で、兄弟や妻に接してきたがために、もはや関係が修復不可能なところまできてしまっているとのことで、周りの人たちの気持ちに定年退職をするまで気づかなかったという話です。
何か、確かにこの男性の話を聞いていると、こういう人が会社でも当たり前のように部下や若手にパワハラを繰り返し、それが当たり前なのだと、これまで自分は頑張って勉強し、頑張って仕事をして出世もしてきたのだから、自分の方がいつだって正しいのだと勘違いし続けてきているのかなと思いました。
この手の人を「今さら何を言ってやがる」「当然の報いだ」と非難することは簡単なのですが、問題は、なぜこういう人が量産されてしまう社会であるのか、というところですよね。
人間なので、勉強や仕事が出来る人と出来ない人がいるのは当然です。社会は、どうしても出来ない人をどうするのか、というところに目が行きがちなのですが、それよりも、実はまず出来る人間を、いかに勉強や仕事だけが出来る人にしない、つまりちゃんと自分のことだけを考えずに、社会に還元が出来る人にするのか、という方が先の課題なんじゃないかと思います。
この辺がやはり偏差値教育の弊害かもしれませんね。欧米を賛美するつもりはありませんが、あちらではボランティアや課外授業での取り組みなども成績に大きく組み込まれることが多いです。一方で、最近こそ、少しずつ日本でも、こういったことに目が向けられ始めていますが、この相談者の学生時代では、そういったことはまったく無視されていたのでしょう。ですから、社会の中に自分がいるのだということがそもそも理解出来ていない。なんだかんだ言って、学校の成績と入った会社の大きさによって、自分の力以上のものを手に入れてしまって、勘違いし続ける、常に自分が優位に立たないと生きていけないという歪んだ感覚で生き続けてしまったのでしょうね。この感覚を直すのは無理だとは言いませんが、とても難しいです。しかもこの相談者の人はまだ自分の過ちに気づいているだけマシなのですが、この手の人のほとんどは老人になっても、常に自分が上に立たなかければ気が済まないので、自分よりも立場が下の人、店の店員や家族などにマウンティングをし続けるやっかな人物なままです。
鴻上さんが言っているように、人間がよりよく社会で生きていくために必要なことは、自分一人では生きていけないことを自覚して、周りの人々に感謝をして生きていくという姿勢です。この姿勢がなければ、どんなに頭が良くても、どんなにお金があって身分が高くても、幸せには生きて行けません。
では、どうすれば、こういうことが若いうちから自然とわかる人間になるのか――――これが今後の教育における本当の部分での課題ですね。