就職氷河期、リーマン、コロナ…「本当に運が悪い」ロスジェネ世代が直面している厳しい現実
コロナ禍において社会分断が取り沙汰されています。また第二次安倍政権が誕生して以来、右寄りな考え方の人と左寄りな考え方の人の間で相容れない溝が生まれ、大企業の正社員とそれ以外の人の間や都心と地方との間にも、主に経済格差を理由とした社会分断が起きています。
つい二、三十年前までは一億総中流と呼ばれ、目立った社会分断はそこまで顕在化はしていなかったのに何でこうなってしまったのでしょう。
そして数ある社会分断の中で何が一番問題で、わたしたちはそれに対してどうすればよいのでしょう?
個人的な見解としては、今現れ出ている社会分断の中でなにげに最も大きく、またほかの社会分断の根にもなっているのは、世代間の分断だと思ってます。これは世代間の考え方そのものが原因の一つとも思われますが、ただ世代間に考え方の隔たりがあるのは今に始まったことではなく、むしろ歴史的に絶えず繰り返されているものといえるでしょう。
今現在世代間に大きな分断が生まれているのは、間違いなく経済的な格差の問題です。実際日本人の個人総資産のほとんどが高齢者に偏っているのはもはや統計的に明らかになっている事実であり、そして問題なのがそうした偏りが実力の差ではなく、過去に官民共同で行われた政策によって生まれているという点です。
つまり、今から二十年ちょっと前に就職氷河期世代を生んでしまい、さらに派遣法を拡大してしまったことで結果的に現在一部の高齢者だけに富が集中してしまっているという事態になっているのです。
あのときの若者たちのほとんどは右も左もわからない状態の中で社会とはそういうものだと思っていました。人材が買い手市場になっている中で、会社でパワハラやセクハラが横行しても、転職の難しさからそれを受け入れざるを得ず、精神的に追い詰められた人がたくさん出てきました。給与の額も右肩上がりの上の世代とは違ってほぼ据え置きが多く、所帯を持ちたくても経済的に厳しい人が続出しました。しかも多くの場合、上の世代や勝組になれた人からは、それは努力をしなかった自己責任だと切り捨てられ、なぜ結婚できないのか、なぜ正社員になれないのかとモラルハラスメントをも受け続けてきたのです。
その結果が過度な少子高齢化であり、経済格差の深刻化であり、コロナによって助長された社会分断なのです。
今就職氷河期世代はようやく自分たちが当たり前だと思っていた過酷な待遇が、上の世代によって思わされてきたことであったのだとようやく気がつき始めています。ただもはや彼らは中年の域に差し掛かり、やり直すにももう手遅れになっている人がほとんどです。彼らは絶望し、諦め、そして恨んでいます。その負の力が新たな差別主義や暴力、排他的な思想に結びついてしまっていることも多々あるでしょう。
上の世代の人たちからしてみれば、あのときは仕方なかったといい、おそらくほとんどの人が話を逸らすと思います。もう年寄りにそんなことは言わないでくれ、というのが本音でしょう。
いまさらほとんどどうにも出来ないのは確かで、それを言うことで社会の分断がハッキリとしてしまう。ここは氷河期世代が我慢をしてくれれば、すべては丸く収まるのだと。
でも、特定の属性の人に無言の圧力で我慢を強いることこそが、本当は社会分断を招く種になると思うんです。
持たざる者や被害を受けた者がいくら叫んでも大抵の場合は黙殺されます。社会がすでにこうなんだからと、既得権を多く持ちすぎている人たちがそれを手放すことを嫌って変えようとしないんです。
でも有限の資源をある程度分配をしない限りは、社会が成り立ちません。無理にそれを渡せとまでは言いませんが、少なくともその世代や男女などの属性による不均衡がある状況がおかしいという認識は社会として持つべきなのです。
そうじゃないと、どんどんと社会そのものが荒んでいくだけですし、それが当たり前のこととされてしまえば、また新たに声を持たない次世代に負債を押し付けるだけになってしまうからです。
今後世代交代が進めば、就職氷河期世代の中で勝ち抜いた人たちが政財界でトップになっていくでしょう。自分たちだって苦しい中を勝ち抜いてきたんだから、今になって得た果実を多く取るのは当たり前だし、若者は苦労して競争するのが当たり前。彼らの多くはそう思うに違いありませんし、実際そうした施策をとるでしょう。彼らはそれが正しいと教えられて生きてきたのですから。
そうした事態を避けるためにも、政府はまず当時既得権を持っていた世代を守るために、右も左も分からない就職世代に過酷な競争原理を強いたことを公式に謝ってください。
そして民間企業や上の世代の人たちにあれは間違いだったということを伝えて、どうすれば少しでもそれが是正されるべきなのか共に考えるように促してください。
政治家の仕事は、誰か特定の利益を代弁し、自らの保身を図ることではなく、出来る限り社会の構成みんなが幸福を追求出来るよう、バランスをとることなのですから。