「フレンチアルプスで起きたこと」
2014年/スウェーデン
一言で言って色々な意味で人の気持ちをざわつかせる映画でした。
物語の舞台はフランスのスキーリゾート。
そこに休暇で訪れたスウェーデン人の一家がレストランで昼食中に雪崩に巻き込まれたことから話が動き出します。
雪崩そのものの被害はなかったのですが、問題は父親が携帯電話を持って妻と小さな子ども二人を顧みずにとっさに一人で逃げ出してしまったこと。
このことについて妻は夫を友人たちをも巻き込んで責め続けます。
一方で夫は当初こそ話をそれほど問題視せずに逃げたことも認めずにはぐらかし続けますが、妻からの追及が激しくなるにつれて追い詰められていきます。
ようするに本能的に出てしまったとっさの行動が人間の裏の顔の部分を暴いてしまい、それを見てしまったがゆえに人間関係そのものに距離が出来て否応もなく家族であるということや男や女であるということについてもう一度問い直さざるを得ない状態になってしまったわけですね。
舞台のシチュエーションの作り方は、秀逸だと思いました。
スキー場という限られた空間であり、自然の恐怖と隣り合わせの空間が人の心理を必要以上に集中させて、問題を浮き彫りにさせていく。
話がひとつの夫婦だけに限らず、友人カップルに伝染していくという広がりも、テーマに普遍性を持たせるという意味で見事だと思います。
ただここからはネタバレになるのですが、個人的には最後まで観た上で、結局これを作った人が何を言いたかったのか、その人なりの哲学のようなものを感じ取れなかったのが残念です。
このシチュエーションからすれば、話は完全にジェンダーの話になっているんですよね。
それで夫が自分の中にあるマッチョな男性像をもはや掲示することが出来なくなり、自分の弱さを認めていくという話になっていくのですが、問題はその後です。
ラストで国に帰ろうとする一行が山の急斜面をバスで下るのですが、運転手の技量不足で危ない目に遭います。
そしてそこであれほど逃げた夫を追い詰めた妻が子どもたちをおいてさっさとバスを降りてしまうのです。
そうです。最初と逆のことが起こり、映画は歩いて下山する客たちを映しながら終わってしまうのです。
このことが何を意味するのかは形の上で観ている人に投げかけられますが、この終わりの場合、大抵の人はこう思うように誘導されています。
結局どっちもどっちじゃないかと。
男と女の関係に限らず結構どっちもどっちだという話はたくさんあります。ただ日常において多いことをここでこれ見よがしに高見からの結論のようにぶつけるのは正直いかなるものかと思ってしまうんですよね。
そもそもこの話は明らかにジェンダーの話をテーマに挙げてそれをとっさに出てしまった本能を皮切りに探っていくという話であったはずです。
でも、その結論がどっちもどっちというのはあまりに作り方が雑というか、観客の感情と距離を置きすぎているような気がします。
確かにどっちもどっちという話は表面上の話としてはまとめやすいです。でも、どっちもどっちだという話では結局どっちが正しくどっちが悪いかという話の枠を出ず、それ以上のテーマ性がそれでは出てこないと思うんです。
話のもっていき方としてとても興味深い進め方を見せていたがゆえに最後は正直かなりガッカリしてしまいました。
監督そのものが観客に委ねていると見せかけながらも、人間の本質を暴くだけ暴いといてその責任を引き受けず、その先にあるはずの哲学的な解釈の手がかりも見せていないんですよね。それでいて、作品から距離を置くような形でどっちもどっち的な話にしてしまうのでは、作品がちょっとかわいそうです。
真っ暗な画面や真っ白な画面を使ってみたり、ドローンをうまく使ってみたりと演出そのものはとても面白いんですけどね……。