「マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か ♯Me Tooに加われない男たち」 著 杉田俊介

「マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か ♯Me Tooに加われない男たち」 
著 杉田俊介

ジェンダー平等を説明するために、いわゆるマジョリティの男性に向けて書かれた本ですね。
通常、ジェンダーやフェミニズムと銘打った本は、どうしても女性が手にとって読むことが多いのですが、あえて男性に向けて新書で書いたという点で画期的な試みであると思います。
本の内容としては、ジェンダーやフェミニズムといった考え方に対してほぼほぼ初心者である男性にとって、それがどのような考え方で、どのように進化していき、現在はどのような状態に置かれているのかをわかりやすく説明してくれているので、今の世の中に必要な本だと思います。
またある程度これらのことを理解している人にとっても頭を整理する手助けとなってくれる本ですね。

内容的に、この本において大事な点は、まず複合差別について十分に説明をされているところです。
複合差別とは、ジェンダーやフェミニズムという話になると、どうしても男vs女みたいな二項対立に捉えがちな人が多いんですけれど、ようするにそんな単純な話ではないということです。
少し想像をしてみればわかる話ですが、一口に「男」が「女」がと言っても色々といます。
人種も違うし、年代も違うし、文化資本や経済力も違いますし、そもそもトランスジェンダーの人などを考慮いれれば、「男」「女」という区分けそのものが複雑なものとなります。
つまり、簡単に「男」がとか「女」が、といった感じで話を論ずることはそもそも難しく、それぞれが立ち位置によって、違う。
色々な形で差別が存在し、人は絶えず差別の加害者にも被害者にもなりうるという話です。

そして問題はだからといって、そのこと理由を話をそらす言い訳にしてはいけないということです。
社会構造的に、男性が女性を搾取する形をとっているというのは、人類の有史以来自明の話です。
にもかかわらず、差別と言うものが複合的なものであるならば、男性だって差別されているだという主張をすることで、近年叫ばれる「ジェンダー平等」に対して抵抗することは間違えているという話です。
これはその通りですね。
差別が複合的なものであることは確かで、それを前提にものを考えなくてはいけないことは確かですが、「ジェンダー平等」の話において、社会構造として一般的に男性が女性よりも下駄をはいているというのは事実ですからね。

ただ、だからといって、男性の叫びを無視しろとわけではありません。
「男性こそが差別を受けている」という話は、果たしてどういった男性が語っており、それをよく理解した上で、なぜ彼らがそういう発言をするのかということをこの本ではどんどんと迫っていきます。
まあ、この辺りは、他の社会学の本などでもよく語られる話ですが、ようするに「剥奪感」に原因があるという話ですね。
つまり性差別を性差別だけで切り取って語るのではなく、経済と結びつけて考えていくと分かるという話です。
新自由主義が跋扈したことによって、世界中が格差社会となりました。
富める者はどんどんと富んでいく一方で、中産階級が没落し、彼らの多くが家庭を持つことすらもあきらめざるを得ない状況にあります。
少し前の時代ならば自分だって普通に平凡な幸せを享受出来たはずなのにそれが出来ない。
中産階級からこぼれ落ちた男性たちは、言いようのな怒りを剥奪感として、他者にぶつけます。
それが、女性であり、移民であり、彼らよりも弱い立場にいる人たちです。
つまり、自分たちが得られるはずのものを得られないのは、リベラルの名のもとに女性や移民が生意気に権利を主張するからだというのです。

ジェンダーを経済問題と結びつけて考えるのは、正しいと思います。
右傾化する世の中にあって、多様性へのカウンターとしてこの「剥奪感」がエネルギーとなっているという話はその通りですね。
ただ問題は、じゃあ、どうすればいいんだって話なんですよね。

この本の筆者は、さかんに「剥奪感」によって、女性や自分よりも弱い者を差別してしまっている男性が、自分の辛さと向き合い、自らの「既得権」を降ろし、自分をケアに心を向けることで自由になるといい、それを進めています。
ようするに世の男性がそうした道を選べば、自然と世の中そのものがよくなるはずだと。

確かにその通りです。
わたしもそうであってほしいとは思います。
ただ同時に、ちょっとそれは理想的な話であって、現実的な話ではないかもとは思ってしまいました。
複合差別の話を理解したところで、そもそも「剥奪感」によって怒りばかりに支配されている人が、そう簡単に自分の兜を脱ぐように思えないんですよね。
下駄を脱ぐことで、自由になるという感覚がそもそもわからないからこそ、「剥奪感」に囚われてしまっているわけですし……。

たぶん、すでに「剥奪感」によって我を失っている人が自発的に変わることを期待するよりも、社会の仕組みそのものをまずは変えていくことが先のような気がします。
まず権力と言う名の兜を脱ぐのは、現実的に虐げられている側にいる男性と言うよりも、支配をしている側に立つ男性ですよね。
この本で言うところのリベラルな顔をしながら、ちゃっかりと自分の権益だけはも守っているような人たちです。
こうした人たちと、こうした人たちが優位に立てる状況をどうにかするべきなのかが最初で、それからじゃないと「剥奪感」に囚われている男性は変われないかなと。
そういう意味では、階級闘争だとこの本の作者は言っていますが、それはその通りかもしれませんね。

ただ、ちょっとアナーキズムにまで話が発展してしまうのは、さすがにちょっとラディカル過ぎるかなと……。まあ、でもこのあたりはこの作者が言うようにこの人の意見であり、そして色々な人の意見がぶつかり合うことで世界が健全になっていくというのも事実だという話ですからね。

「ジェンダー」や「フェミニズム」について正しい知識を身に着けるためには、とても有用な本でした。また映像作品をうまく説明に使っていたので、それがとてもわかりやすかったです。