働き方改革が導入されて、企業も少しずつ長時間労働や有給取得の問題に対して対処するのようなってきましたが、未だにいまいち改革が進んでいないのが「同一労働銅市賃金」の問題です。非正規雇用が増えてから、ほとんど同じ仕事をしていても、正規か非正規かの雇用形態の違いで賃金格差がつけられているのが今の日本の現状です。
これに対して、いくつもの裁判が起こりましたが、劇的に状況が変わってきているというわけではありません。
そもそも同一労働の基準が難しいんですよね。
よく言われるのが、正社員は、非正規社員と違って「責任」があるという話です。
確かに多くの企業にとって、正社員は会社の基幹職として育成されているために様々な評価項目があり、また転勤や異動も会社の都合でなされることが多いです。
一方で、非正規社員は「その仕事を担当する人」としての役割を与えられており、結果的に業務内容、責任や配置変更範囲が変わってくるので、それが待遇差につながるという話になります。
「同一労働同一賃金」で起こされる裁判においても、たいていの場合がここが問題となり、同一労働ではないと結論付けられてしまうと負けてしまうんですよね。
ただこうした役割の期待というのは、基本的に会社の都合なんじゃないかとは個人的には思います。
つまり、会社に入った時の待遇ですべてが決められてしまい、持つべき者と持たざる者が最初から振り分けられてしまうという壁が存在してしまうのです。
これだと、既得権を得たものはずっと守られることになりますし、逆に非正規の人はどんなに努力しても壁がなかなか越えられません。
そもそも最初から既得権を得るような仕事をすることを期待されていないし、求められることもチャンスもないわけですからね。
そして、その見えない壁がそのまま賃金の差になってしまっていて、しかもその理由付けにすらなってしまっているんです。
つまり「同一労働」じゃないという理由付けは、そのまま現状の格差のある雇用形態を補完するような形になってしまっているんですよね。
ただ日本の「同一労働同一賃金」はよくやくその概念が輸入されたばかりですが、欧米での「同一労働同一賃金」はすでにより進んでいます。
今全米でもっとも進んでいると言われているのが、2016年にマサチューセッツ州で施行された『平等賃金制定法(An Act to Establish Pay Equity)』 です。
平等賃金制定法では、マサチューセッツ州の雇用主に対して、性別に関係なく「同等の仕事」には同一賃金を支払う義務を課しています。
日本だと正規か非正規かというところが争点になりがちですが、海外ではそもそも非正規で働いているのが女性が多いという前提に立っているのと、主に慣習的に女性がするような仕事に対して、最初から価値がないとされるのはおかしいという視点に立っているんですよね。
例を挙げると、小中学校の用務員には男性が多く、炊事係には女性が多いのですが、この賃金格差が元々倍以上あったそうです。
同じ小学校で働いていて、子どもたちのためにそれぞれの役割を担っているというのに、それはどういうわけか、という話に当然なります。
これが日本の場合ですと、「用務員」と「炊事係」は「同一労働」ではないから、その賃金格差は妥当だという話になります。
でも、マサチューセッツ州の考え方であれば、これは「同じ価値の労働」だという話になり、賃金格差があること自体がおかしいという話になるのです。
「同じ価値の労働」というのは画期的な考え方ですね。
確かにこれをどう判断するのかは難しいのですが、こうした視点に立って仕事の割り振りや賃金の在り方を考えるのはとても大事なことだと思います。
一見、とても価値のある仕事が低い対価しか与えられず、ほとんど何もしてない、ブルシット・ジョブに勤しんでいる人が高収入なんてことはざらにありますからね。
ましてやそれが、たまたま最初にそういう待遇で会社に入ったからとか、男性だからとか、どこそこ大学の出だからとか、そういう理由でそうなっているというのは極めて不合理な話ですし、実際に企業にとっても非生産的な話でありますからね。
ちなみにマサチューセッツ州の「平等賃金制定法」では雇用主が採用候補者の賃金について質問することを禁じているそうです。
ようするに、出来る限り賃金を抑えたい雇用主が以前の賃金の価値しか採用候補者にないと決めつける合理性はないという話です。
これは何げにいいところをついている法律ですね。
明らかに仕事に対する賃金ではなく、人を見て、その人に対する賃金しか与えないという話になりますからね。
マサチューセッツ州の「平等賃金制定法」は今後全米にも広がっていくことが期待されています。
日本お行政もアメリカの悪いところは真似しなくていいので、こういう部分はどんどんと取り入れて行ってほしいですね。