第一志望校に「行かない人生」その侮れない利点中学受験「志望校に落ちた親子」が今すべきこと
受験シーズンが佳境を迎えていますね。合格不合格と悲喜交々でしょうが、次の問題はその結果をどう受け入れるかになると思います。
上記の記事は思うような結果にならなかった子たちに親がどうすればいいかというものです。
まず思うように行かなかった子を3分類に分けていますね。一つ目のグループは、すぐに切り替えて行ける学校で頑張れる子。こういった子は、何クソという気持ちが強いので、うまくいなかったこと自体が怪我の功名として作用する可能性が高いそうです。ただこういう子は極めて少数だそうですが。二つ目のグループは、このグループが数的には一番多いそうですが、思い通りにいかなかったショックをある程度引きずりますが、行ける学校に行き、そこで友達を作り、生活に順応していく過程で立ち直っていくというパターンに当てはまる子どもたちです。時間が解決するという話ですが、基本的に親が余計なことを言わず、子どもも新しい環境に慣れさえすれば、どうにかなるよという話ですね。そして3つ目のグループですが、いつまでも引きずり続け、心身ともに病んでいくというパターンの子どもたちです。言うまでもなく、このグループが一番問題で、こういった子を出さないようするにはどうすればいいかという話ですね。
記事では、こうした子に対し、まずは親が余計なことを言うなと提言しています。これはわかりますね。こうした子の場合、往々にして子どもよりも親の方がショックを隠せずにいることが多いんですよね。結果を出せなかった子どもに対して責め続けるのは論外ですが、言葉に出さなくても親自身が露骨にショックを受けている様子を子供に見せることも禁物です。子どもが若年の場合は、その姿を見るだけでも自分を責める理由にしてしまいますからね。それとよかれと思って必要以上に励ましたり、慰めたりするのもダメですね。親に気を遣わせているとわかると、子供は余計に惨めになってクサクサとしてしまいますからね。まあ、そのへんのさじ加減は確かに難しいとは思いますが、親がそうしたことを意識はするだけでもだいぶ違うのではないでしょうか。親が結果に拘らずにカラッとしてれば、案外子どももうまく割り切れるようになるかもしれませんからね。
何だか記事を読んでそんなことをあれこれと考えているうちに、わたしが区立中学に入ったときのことを思い出しました。
わたしは元々都内の区立小学校の中でも中学受験をする子が昔から多い小学校を出たのですが(わたしは受験しませんでしたが)、区立中学にそのまま入るとわかるんですけど、中学受験に失敗した子たちのモチベーションが無茶苦茶下がっているのが手に取るようにわかるんですよね。それでいて困ったことにヘンなプライドだけは高い……。こうした子がその後どうなるかというと、大抵ダメになるんですよね。
それゃそうですよね。中学受験の場合、本人の強い意志で受験をしたというよりも、親にやらされた子が圧倒的に多く、本人がそう思っていなくても、親を喜ばしてあげたいとか、いい学校に入ってみんなからすごいと思われたいとか、そういう気持ちがモチベーションになっていたことがほとんどなんですよね。それが受験で見事に打ち砕かれると、その子は単に挫折を味わっただけになってしまい、それがトラウマになって次へと進めなくなってしまう。元々やりたい職業などが明確な子はすぐに切り替えられるのですけど、受験そのものが目的となっていた子どもは、そのもくてきそのものが果たせなかったわけですからすぐに「じゃあ高校受験に」という話にはならないんですよね。
しかもだいたいこういう子のほとんどは小学校高学年の時間を充分に遊んでこなかったわけで、それでいて結果も出せずに傷つけられたわけですから、そうするように仕向けた親に対して不満を抱いています。そもそも自分は子どもとして充分に遊んでいないといったう気持ちも強いですしね。ここに新しい人間関係やら部活の上下関係やらと小学校のときにはなかったストレスが加わるともう感情の暴走を止められなくなってしまいます。グレるとか引きこもるとか、その現れは子どもにもよると思いますが、とにかく小学校のときのように必死に勉強をしようという気持ちにはもはやなかなかならないんですよね。
この負の連鎖に陥らないためにはどうすればいいかというと、やはりとにかく親の期待を押し付けすぎないことに尽きると思います。一番は中学受験の段階で、ただ区立が嫌だとかステイタスのためだけに受験をさせるのではなく、将来どんな職業に就きたいかとか、どんな人間になりたいか、どういう風に社会に貢献したいかなど、受験の先にあることを予期く子どもと話し、たとえ失敗しても受験がすべてではなく、いくらでもやり直しがきくんだということを子どもによく理解をさせた上で子どもの納得のもとに受験をさせることだと思います。
もちろんそんなことを言われても「もう遅いよ」という方もいらっしゃるでしょう。確かに遅いです。でも遅すぎるということはありません。大事なのは子どもの気持ちによく寄り添い、決して急がせずに子どもの変化を待つこと。親が待てずにまた子どもを焦らせれば、子どもの気持ちはこじれるだけですからね。
子どもは受験をすると、どうしても受験というフィルターを通してしか社会を見なくなってしまいます。優秀な子は、そうじゃない人をバカにし始めますし、うまくいかなかった子は自虐的になりがちになってしまいます。
でも受験なんて所詮は学校に入れるか入れないかの話なんですよね。その人の人間性を試されているのではなく、その学校に合うか合わないかを試されているに過ぎないんです。
世界は考えているよりもずっと広い。
このことにいつ気がつけて、いつ自分で行動が出来るかという話ですが、これは子どもが自分で気がつかなきゃいけない話で、親はヒントを与えるぐらいしか出来ないし、またそれ以上のことはしちゃいけないんですよね。
わたしも二人の子供を持つ身なので、待つしかないということがいかに親にとって歯痒いかよく分かります。
そのら歯痒さに耐えることが親が子離れするための試験なのかもしれませんね。
受験はただ知識を競うためだけの経験ではありません。子どもは受験を通して、自分で考えることの大切さや社会の在り方そのものを学びます。そんな子供を通して、親もまた違う立場から学び直す必要があるんですね。