「鬼滅の刃 無限列車編」

日本興行収入歴代1位に輝いた作品ですね。
ここまで爆発的に売れた理由として、人気漫画からの原作というだけではなく、作品そのものに人を惹きつける力があったことは間違いないでしょう。
この映画のすごいところはまず原作モノであり、テレビ放映をされた途中のエピソードでありながら、原作やそれまでのストーリーを観ていない人までも巻き込んでいるところです。
おそらく映画を作っている側としては当初、テレビ放映を観た人を観客として想定したと思うのですが、これが予想外にそもそものファン以外の人が大挙して訪れた。
もちろん途中からは全国的なヒットとなったので、日本人らしくとにかく流行りのものを追おうという流れが生まれたことも否めませんが、それにしても作品に元々ファンじゃなかった人までも惹きつける何かがなければ、あそこまで売れることありませんからね。

というわけで、なぜこの作品がここまで人の心を惹きつけたのか、とても気になるので自分なりによく考えてみてみました。

映画作品としてこの作品が特徴的な点は、話の途中の一つのエピソードだという点です。
これはそもそもそれまでの話を見ていないという人が話に入り込めないというデメリットがある一方で、キャラクターそのものがすでに出来上がっているので、主要キャラの説明やストーリーの世界観の説明にそこまで時間をかける必要がなく、すんなり話そのものに入り込めるというメリットがあります。
このメリットとデメリットを考えた上で映画のエピソードの展開を分析をしてみると、映画のエピソードが偶然か、それともだからこそ映画でやろうと考えたのかはわかりませんが、とにかく上記のデメリットを打ち消すことになる特異な内容があることは確かなんですよね。

そしてそのデメリットを消すことに成功している特異な内容とは、冒頭から主人公炭治郎たちと戦うことになる鬼、魘夢の能力です。
それは知らず知らずの間に心地よい夢を見させてその人物を廃人にした上で食らうというものなんですが、案の定主要キャラクターである炭治郎、善逸、伊之助とこのエピソードから合流した煉獄杏寿郎の4人は、魘夢によって夢を見させられてしまいます。
そして、冒頭すぐにそれぞれの夢が、特に炭治郎と煉獄の夢が詳しく描かれることで、観ている方は、たとえそれまでの話を知らなくても、この二人に自然と感情移入が出来る仕組みになっているんですね。
しかも夢の内容がそれぞれの心の芯の部分を描いているので、そこに回りくどい説明は必要なく、ただ二人の善い人柄だけがスッと観ている人の心うちに入ってくるのです。
こうなればもう冒頭から心を掴んだもの同然ですからね。
ネタバレになりますが、ここからテンションMAXで煉獄さんの死まで心が持っていかれるわけなんです。
この流れでは、煉獄さんの死や炭治郎の叫びに感動するなという方が難しいですね。

そしてその上に、この映画ではキャラクターがすでに出来上がっているという強みも遺憾なく発揮されています。
その力が如実に現れているのが善逸と伊之助のキャラ付けです。また冒頭の魘夢の夢の能力の話になりますが、炭治郎や煉獄さんの夢がシリアスに描かれている一方で、同じように善逸や伊之助も夢を見させられているのですが、彼らの夢は対照的にコミカルに描かれています。
このコミカルさが物語にアクセントや見やすさを与えているのですが、これが見事にラストに生きてくるですね。

具体的にはやはり煉獄さんが死ぬシーンなんですが、その場に居合わせているのは炭治郎と伊之助です。
炭治郎が泣き叫ぶ言葉も印象的なのですが、同時にただ立ち尽くし、肩を震わせる伊之助の姿に心を打たれた人も多いと思います。
普段あまり感情的にならないキャラの伊之助までもが静かにないている。
しかも何かと喚き散らかす伊之助が全然言葉を発しない。
この普段動的なコミカルさを演じているキャラクターにあえて静的なシリアスにさを演じさせるという転換は映画的でとてもいい演出だと思いました。
あのシーンは、炭治郎と煉獄さんだけじゃダメだったんです。
あそこに伊之助がいることで悲しみが何倍にも膨らみ、観る人の心を打つシーンに仕上がっているんですね。

コロナ禍であったり、原作の終了と最終巻の発売の日程が絶妙であったりとら確かに追い風が吹いたことは確かでしたが、間違いなく作品そのものにもテーマ性とバランスの良さを感じさせる作品でした。
次の遊郭編はテレビで放映するそうですが今から楽しみでしょうがありませんね。

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