「中国史とつなげて学ぶ全日本史」
著 岡本隆司
これは非常にためになる本でした。
東洋史の先生によって書かれた著作なんですけれど、東洋史の概念から日本と中国の関係をクローズアップして考えています。
そもそも東洋史そのものが中国との関わりの歴史を学ぶ学問なのですが、確かに日本中心の歴史や西洋中心の世界史よりも、日本と中国の関係を考える上では、東洋史の概念に沿って考えた方が、ずっと正確にその関係性を捉えることが出来ると思いました。
個人的にまず納得したのは、前提として沿岸部に住む農耕定住文化の人々と砂漠地帯に住む草原遊牧文化の人々がぶつかり合うところでそもそも文明というものは発展してきたという考え方です。
その衝突地帯から距離的に離れれば離れるほど、文明の影響が歴史的に薄くなって独自の文化を育んでいくという考え方ですが、柄谷行人さんの「帝国−辺縁」の考え方に似てますね。
東洋史で言えば、黄河文明が発祥であり、東洋をリードするのは常に中国であり、日本はその端にある辺縁に過ぎませんでした。
実際、文化や社会影響が伝わってくるには、数百年レベルで時差があり、日本にとって中国が常に先端をいく先生であることは、曲げようのない事実です。
これはメソポタミア文明やエジプト文明、ひいてはローマ帝国の辺縁であった西ヨーロッパと、基本的に日本は同じような立ち位置であったことを意味します。
ただ日本が西ヨーロッパと大きく違っていたのは、海が境界線上に立ちはだかっていたことです。
地続きの距離よりも、実質的により遠いものとなりますね。
この結果、日本に対する中国の影響はごく限られたものとなり、日本はより独自の政体と歴史を築いていくことになるのです。
朝鮮、ウイグル、チベット、モンゴルなどに比べて日本が東洋史の中で異質な存在である由縁はここに端を発するわけです。
中国のからの影響をほぼ文化面だけに抑えられた日本と首根っこを掴まれているこれらの国々とでは、その後の発展の仕方はかなり異なってきます。
特に日本の場合、ほぼ農民であるというところから出発しているがゆえに、身分の差がそこまで絶対的ではなく、豊臣秀吉の例にあるように流動的であり、官民が一体になっているという点が中国やその影響下にある国と大きく道を異にしてきたんですね。
そして、そこが大きなポイントになったそうです。
つまり、官と民が解離していて、民の数ばかりが膨大に膨れ上がり、ほとんどコントロールされない中国と、官民が一体になって狭い領土の中でコンパクトに動いていく日本とでは、近代化を進めるときにそのスピード感が全く違ってきますし、そもそも中国的な感覚ではその重要性に気づくことが難しいというわけです。
そして日本と中国が特異な関係を見せるのはここからなんですよね。
これまで日本は外国からの知識を中国の漢語を通じて学んできました。欧米の書物の多くもまずは中国で漢語に訳され、その漢語に訳されたものを日本語に訳して日本で広まっていたのです。
ただ漢語には問題があった。
中華思想といえば、わかりやすいのでしょうが、そもそも漢語というのは、中国の故事になぞらえて書くものであって、それがたとえ欧米の書物であっても、まずは中国化し、実はこの考え方は中国にも昔からあったなどという言い回しに変換されてから翻訳されてします。そしてその結果、内容が何だかよくわからないものになってしまうことが往々にしてあったようです。
ただそんなまどろっこしいことは合理的ではないと、独自の書物の訳した方をしたのが福沢諭吉であり、そうした動きが今の日本語の文体を作っていったというわけです。
福澤の「脱亜入欧」とは、単純にアジアの仲間を止めてヨーロッパの仲間になれというのではなく、中国の儒教的な発想をするのを止めて、合理的な考え方をしていかなければ、近代化は出来ないという意味での言葉であったわけですね。
そして、福澤の意図した通り、結果的にそうした合理化への動きが日本の近代化を推し進める一助となった。
面白いのは、そうした日本の成功を見て、一部の中国の知識層たちが日本から学び始めたという点です。
これまで常に文化の中心であった中国が、帝国列強の存亡の危機に立たされた時に初めて他国から学びとろうと強い気持ちになったというわけです。
その証拠が「帝国」「独立」などの日本語由来の漢字です。
これらの言葉は、先に福澤らが欧米の概念を表わすために作った漢字なのですが、日本に留学していた中国人たちがこれらの漢字を日本で学んだ知識とともに逆輸入した。
そして、そうした日本で学んだ中国人留学生の一部が、辛亥革命を成し遂げ、中国の近代化の口火を切らせます。
しかも日本による侵略によって、中国の民集の中にもナショナリズムが勃興していく最中にです。
つまり、中国が国民国家に変わるきっかけを作ったのは、間違いなく日本なんですよね。
それは現在の中国の起点をさかのぼれば、「日本」にぶつかることも意味し、両国の関係が切っても切れない関係にあるということです。
現在の表象的なことだけを見て、ただ批判するだけでは、何も変わらないということが両国の歴史的な関係を見ていくと、よくわかってきますね。
どんなに嫌だと言っても、日本も中国も隣にある国であるがゆえに影響を受け合って今に至るということは間違いないです。
どちらが優れているとか、どちらが正しいとかいう問題ではなく、ただ現実問題として、お互いを無視すること出来ない。
いくら政治的に対立を繰り返していても、経済的にも文化的にもその影響は密接で絡み合っていますからね。
おそらく今後中国は強大化していくにしたがって、より国民国家としての側面を強めていくでしょう。
それは日本から学んだやり方であり、日本人にとっては、関係ないではすまされない問題です。
毅然とした態度を取り、言うべきことを言うことはとても大事です。
ただ両国のそうした歴史や距離感を分かった上で、そうした行動を起こした方がより効果的であるし、相手を尊重することにもなります。
感情論でただ嫌いだと喚くのは、ただの差別です。
そうした威勢がいいだけの論理に引きずられないためにも、市井のレベルで日本と中国の客観的な関係性を学ぶ必要は絶対にあります。
そのために、この本は非常に最適だと思いました。
日中との関係が新しい局面を迎えつつある今だからこそ、高校生や大学生の参考図書にぜひ加えてほしい本ですね。これは。